当時の浅野寛会長の提案で、"大青協の歌"を創ろうということで、広く木材界に呼びかけ募集いたしました。
全て名前を伏せて審査し、最終審査会には、作家の長沖一、作曲家の木村四郎、両先生に、お出まし願いました。
そして、中川様の御作が、見事一位に決定されたのです。
その中川様の作詩に、木村四郎先生が曲をつけられ「大青協の歌」が誕生いたしました。
気の遠くなる程の年月の中で育まれた木材への愛情、そして力強さと夢を、大青協にダブらせて歌い上げられ、今も新しい気持で歌わせていただくこと、本当に素晴らしいことと思います。
又、ある日版画家徳力富吉郎氏の京都のアトリエにご一緒させていただいた事がございました。
静かで、品よく、暖かく、時には劇的な思いのする美しい作品の中で、芸術について、熱っぽく、語られるお姿を思い出しもします。
中川様の御母堂さまのお忌明の折にいただいた、御母堂さまが、ことのほか愛されたという浜木綿を描いた風呂敷も、中川様ご自身の快気のお祝いの折に、いただいた「青葉の中の大阪城」の版画も、徳力氏の作品でございました。
今も、大切に使わせていただいたり、飾らせていただいております。
きびしい経営者としてのお立場と、多くの公職を、それも情熱をもって、こともなげにお勤めになられ、多くの方々とのご縁をどこまでも大切にされ、心の豊かに生きられた中川様、今もズボンのポケットに手を入れ乍ら、独特の笑顔で語りかけて下さるような、そんな気がいたします。
暖かい思いやりと、時には厳しさをもって見守って下さったことに深く感謝し、ご冥福を祈るばかりでございます。
どうぞ安らかにお眠り下さい。
ありがとうございました。