この年業界では、新入社員教育講習会や青年学級が企画され、中川さんはこれらの講師として、木材流通の基礎知識等を教えられ、この時の受講生は現在業界の第一線で活躍中である。
また、中川さん達が多くの工場の協力を得て製作された映画-木材大阪の歩み-は、広く業界の広報に役立ったが、大阪業界の求人斡旋にも一役買った。
組合に求人斡旋委員会を設け、学校訪問等を行った。
中でも中川さんを始め島崎三四郎氏広瀬久治郎氏等と八ミリ映写機、テープレコーダーを携え夜汽車に乗って、私の母校広島県庄原実業高校を皮切りに、姫新線に入り岡山県勝間田農林高校を訪れ、外材時代を迎え大きく開けゆく大阪木材業界の未来を熱ぽく語る中川さんの姿は、就職を控えた生徒達に深い感銘を与えた。
中川さんには、全幹集材方式を始めて取り入れた山崎営林署の集材現場見学にも同行させていただいた。
秋色濃い山崎の里の思い出もまた鮮やかである。
機会あって飲むときは、話しがはずみ私の将来のことになると、これからの業界は若い人が必要なんやから府木連を辞めたらあかんでと念を押されることもたびたびであった。
工場団地の設立準備のときは、旧木材会館二階の小部屋、大青協の片隅に机一つと女性一人でスタート、西野久雄氏と中川さんは会議会議の連続でした。
その後府庁に近い農林会館へ移られ組合が設立され、新天地の美原に移った。
ここでも中川さんは工場団地の造成から完成までを映画-すばらしき大地-に収められた。
素晴らしいできばえだ。
中川さんが精魂こめた団地も完成し周辺整備も整い、ウッドリームも軌道に乗り愈々総仕上げのグランドフェアー開幕に向けて精力的にご活躍中のところだった。
木材文化展も中川さんの創始だった。
ヤアー、いいデザインのポスターができたぞ見てくれ!とまた事務所のドアが開くのでは…と