糸ヘン出身の私にとり全く未知の世界です。
決心はしたものの何かと不安や懸念が胸中に渦巻いていた事も事実です。
しかし、一旦故社長の温顔に接した途端、そのようなものは雲散霧消し、「この方のもとなら気持ちよく働けそうだ」とリラックスしたことも昨日のように思い出されます。
入社後も素人同然の私に対し、終始温たかく又時には厳しくご指導ご激励を頂き、お蔭で充実した十年間を送り得た事はこの上なき幸せでした。
それから故社長とは大正十年前後の同世代ということもあってか、基本的な考え方は不思議な程一致して居りました。
それで私も常に歯に衣きせず意見を申し上げ、時には叱られても最後には必らず判って頂き、社長であると同時に三つ違いの兄さんとつき合っている様なつもりで仕えて参りました。
そしてあの八月二十五日運命の日です。
定年退職された廣瀬前専務を囲み中食の席上、偶々海外旅行の話が出た時、故社長より「中国桂林の絶景「南画の世界」を是非全社員に見せてやりたい。
」とのお言葉があり、私が「二泊三日では到底無理です。
三泊四日なら何とかなるのですが」とお答えし、「ソリャそうだ。
しかしアト何年かすれば出来る時期が来るよ。
楽しみにして置こうや」とおっしゃった事も今は悲しい思い出です。
その夜、幹部会議の席上突然の発病で倒れられ、何とかお命だけはとの切なる願いも空しく帰らぬ人となってしまわれました。
桂林旅行の御遺志も予想以上の社会経済環境の好転により、さほど遠からず叶えられそうです。
その日の来るのを楽しみにして居ります。
「諸行無常・生者必滅・会社常離」厳しい人生の定めを厳粛に受けとめつつ、故社長との「一期一会」の色々の思い出を懐しみつつ懸命に生きてゆきたいと思い続けて居ります。
中川藤一社長、どうぞ安らかにお眠り下さい。