初めてお会いしたのは、赴任直後の4月、中川さんが活動の拠点にしておられた美原町ウッドリーム大阪をお訪ねした時でした。
当日、中川さんには、舘の内外をたいへん懇切丁寧に案内していただきましたが、全国の都道府県から産出される木材のコレクションや、クラフトの展示の説明をいただいた際に、中川さんの木に対する愛着がひしひしと伝わってくるように感じましたのが、まるで昨日のことのように思い出されます。
また、裏庭には、ウッドリーム大阪に使用されている木々を機会あるごとに植樹しておられましたが、隅々にまで配慮が行き届いていて、中川さんの緑と木に寄せられるひたむきな姿勢に頭が下がる思いでウッドリーム大阪を後にいたしました。
その次に中川さんにお会いしたのは、5月の全国植樹祭の翌日でした。
香川県で開催された昭和63年度の全国植樹祭は、あいにくの荒天で、飛行機の欠航などが相次ぐ中でようやく帰阪されたそうですが、翌日朝早く、私の執務室に突然中川さんが見えられました。
お話をお聞きすると、ずぶぬれのままフェリーに乗って神戸に到着され、その足で訪ねてみえたということで、お仕事に対する情熱に感心したのはもちろんですが、過労になられてはと心配したことが今となって、強く記憶に残っております。
その時のご用といいますのは、十月にウッドリーム大阪で全国ではじめての木工品、クラフトの展示会「グランドフェア」を開催するので、大阪府にも一つ応援を頼みたいということでした。
もちろん、私は、そのお話を聞いて是非お手伝いさせていただきたいと申し上げました。
その後、グランドフェアに関連して中川さんのお考えなど間接的に担当者から報告を受ける程度でしたが、8月末に倒れられたとの報に接し、ご容態を案じていたところ、お見舞をする間もなく突然に他界されました。
中川さんにとって最後の大仕事の一つとなったグランドフェアに、私は、開会の日とそして閉会の日にうかがいましたが、特に閉会日には、ご挨拶を申し上げる機会を与えていただきました。
その際に私は、中川さんのご冥福をお祈りすると同時にウッドリーム関係の多くの方々が中川さんのご遺志を継がれ立派にお仕事をやりとげられたことに対し深く敬意を表させていただきました。
今、改めて思いかえしますと、中川さんのお仕事の本当の価値とは、わが国の森林そしてそれが育んだ木の文化というものを本当に大切にして守り育てて行く意志を持った人々を数多く育て上げられたということではなかったかと考えます。
私もまた、中川さんのご遺志を継いでいくことが中川さんのご冥福につながるものと毎日のしごとのはげみとさせていただいている次第です。