これらの著書を改めて読んで、今更ながらに、中川さんの学識、木に対する思い入れ、そして広く日本文化への関心等の深さに感嘆するのである。
初めて中川さんにお目にかかったのは昨年四月、私が木材流通課長に発令されて間もなくのことだった。
中川さんの著書は、木材流通関係者にとっては必読の文献であり、木材流通の世界に全くの素人であった私は必死になって読み進めているところだった。
実業界に身を置きながら、片や大学の講師、そしてその文章の明快さ、何とすごい人が木材界にいるものよ、と感心おくあたわざる時に当の本人が現われたのである。
しかも、鋭い人にありがちなタイプとは異って、音声、顔つきともまことに穏やかな、申し分のない人柄であった。
そして、木材流通の改善についての情熱を語られ、木材流通課の新設を祝い、かつ、激励していただいた。
その後は上京の都度お寄りいただいた。
また、私も六月には美原町の木材工場団地を訪問する機会を得て、ウッドリーム大阪を見せていただいたり、その運営方針などの話も伺った。
展示品の一つ一つ、喫茶店の作り方、大きなウロのある木の配置などきめの細かい気くばりにまたもや感心した一日だった。
「いずれ木材流通のあり方についてじっくり話をしましょう。
」中川さんはこう言ってその日私と別れた。
もとより、木材流通行政の推進に当たって、中川さんのお知恵は是非共拝借しなければならないし、じっくりと今後のあり方について話合いたいものだと思ってはいたが、その日からは特に「玄人の目」の持主としての中川さんを意識するようになった。
玄人たる中川さんの納得がいくような行政レベルに早く達しなければ、との思いを強くしたのである。
八月になって、今後の方向の明確化と関係者のコンセンサスの形成のため、「国産材流通システム研究会」を開催することに決め、早速中川さんに委員への就任をお願いしたところ、直ちに快諾していただいた。
そして、第一回の研究会の会合の準備を始めていた矢先の訃報であった。
もはや教えを乞うことも、議論を交わすこともできない。
まことに無念の思いの中で、私に遺された最大のものは、あのにこやかな温顔とその中心にあった「玄人の目」である。
それを思い浮かべる毎に、私の努力の程度を計るものさしの如く感じ、無言のはげましに感謝するのである。