少なくとも後二十年はお付き合い頂きたかったのに……。
昭和三十三年四月に発足した大阪木材青年経営者協議会(大青協)でお互い現役として直接御指導頂けたのは十年足らずでした、その後先輩と現役として又十年、私も大青協OBとなり又々十年、本当に永くもあり、短い三十年ではあった。
昨今よく考える事だが「もし私の前に中川さんが現われられなかったら、今の私はもっと異った私になっていただろう」と思われる程、公私に亘り中川さんには教えを受け、又影響もうけたと自身で思っている。
木材関連の知識はもちろんの事、お遊びから習い事迄全般の先輩であり師匠であった中川さんには、何と云ってこの感謝の気持を伝えたら良かったか?方法は分らないままお別れしてしまいました。
ここでは御一緒に参加させて頂いた習い事の中から二、三について懐しい思い出を……。
先ず昭和三十五年から始めた英会話講座、先生は戎ゆり子先生。
申しおくれましたが、何を習うについても、先生は中川さんが御紹介下さり、それぞれの先生はその道のエキスパートであると同時に「美人で独身である」と云う条件付きであった。
我々は今度の先生はどんな方かな?と胸をトキメかせて楽しみに待ったものだ。
英会話開始直後、日本舞踊も習う事になった。
私達(中川さん若木さん石塚さん多田)と花柳流とは、どう考えてもイメージ的に合わないらしいが、これには大義名分がある。
第四回林青連全国会員大会(奈良県主管)の夜の部に友情出演し、懇親会を盛り上げるためである。
実際短いお稽古期間ではあったが何とか格好もつき大好評を博した。
私達はそれに味をしめた訳でもないが、美しいお師匠さん(花柳芳比呂紘さん)美人姉弟子達に目尻を下げ、その後もお稽古に精を出し、三越劇場でのゆかた会から終りには大阪毎日ホールの大舞台迄、厚かましくも堂々とやったものだ。
そんな時でも中川さんは常に若々しく積極的な行動力で私達をリードして下さった。
その前後だったか?豊中に新築された中川さんの新居御披露の会にも着物、袴持参でお祝いに駆け付けたのも昨日の様に思われる。
近い話では五十九年正月、中川さんから「今年は書道を始めないか」とお話があり早速同好の士を募り四月から始めた。
この先生(宮田瑶夏先生)も又我々の求める条件にピタリ、非常に楽しい稽古を続けさせて頂き「二、三年も続けられれば」と思っていたのが現在五年目をすぎ、仲間からは有段者も出てますます楽しさは高まるばかり。
この会も中川さんからの遺産でもあり、続く限り大切にして行き度いと思っている。
合掌