芽生えた木々に、満開の桜、花すおう等々咲き乱れたお庭に、ふと、佇んで居られました。
春風のいたずらに降り注ぐ花吹雪、肩に、背に、花びらが散って、自然をこよなく愛された亡き御主人のお姿は一幅の絵でした。
絵心の無い私に表現出来ないもどかしさを感じつつも、それは、忘れる事の出来ない強烈な印象を与えて下さいました。
昭和六十三年春の、とある日曜日の一時でした。
御夫妻の御好意に依り、小学校クラス会を開き、お喋りに、四季の歌、大阪市歌等御主人と共に声高らかに歌い、楽しい一日でした。
「還暦を過ぎたとは思えない程皆さんは若々しい。
」とのお言葉に一同大いに励まされたものでした。
豊中駅迄何度となく送って頂きました。
その思い出もさめやらぬ頃、御主人の御訃報に接し、一同驚きと悲しみにうちひしがれてしまいました。
"おとうちゃま、おとうちゃま"とやさしい奥さんの問いかけに御主人は、イエ、それはまるで慈父の如く穏やかに細かい事迄指示なさって居られた、御夫妻のお姿は、私達年代にとって、羨ましくもあり、お手本にしなければ……と思ったものでした。
神に召される何日か前、会合で仲良くワルツを踊る機会がありましたと奥さんから聞かされ、心からよかったね。
と自分の事の様に喜びました。
無き御主人は、御遺族のみならず、私達迄心に残る、何物にも替える事の出来ない思い出を残して下さいました。
何時迄も御遺族の皆様のお幸せをお守り下さいませ。
有難うございました。
感謝致して居ります。
(中川輝子友人)