昭和四十年代の初めだからずい分古くからのつき合いでもあるが、多勢の人だかりの中でも、その存在は関西弁の大声ですぐに判る。
最近ではそうでもなかったようだが、眼鏡を首から胸のあたりにぶら下げた姿で中川さんはいつも現われた。
この眼鏡のやり方は持前の合理主義から来たものであったのか、おしゃれ気であったのか。
その中川さんがある日、お願いがあると云って、珍らしく恐るおそるお出でになった。
聞けば大阪のウッドリームに銘木を展示したい、貸し出してもらえないかとのこと。
実は、ご存じのとおり、私どもの日本住宅・木材技術センターでは、ぼう大な量の銘木を保有している。
いや、量よりもむしろその質的内容をこそ誇れる超一流の銘木類で、もう他所では今後ともお目にかかれないであろう物ばかりである。
当センター設立時に、木場の故長谷川萬治さんのご遺志により寄贈いただいた最高の貴重品である。
これらの銘木類は、永久に保存する物(A)、原則として保存する物(B)、同種の物が多いなどのため処分してもよい物(C)の三種に区分して保管し、銘木標本館として江東区新砂に展示して一般の来客に供覧している。
中川さんは勿論プロとして目の肥えた方だから、当然このAランクの銘木を指定しての申し出である。
ウッドリームには木材を知りつくした方も、今まで木材にあまり縁のなかった方も、いろいろの人びとが集まって来られるが、これらの方たちに木材の本当の良さを訴えたいと云う訳であった。
センター設立以来これまで、とくにAランクの銘木については門外不出として厳重に保管して来た物ではあるが、東京の人だけに、東京に来た人だけに見ていただくと云うのも考えてみれば勿体ないことではある。
熱のこもった中川さんの申し出でもあるし、よろしかろうと云うことになった。
だが、無料で、しかも大阪にだけ貸し出すことは後のち問題が起こらないとも限らない。
だからと云って対価をもらって貸し出すのも何かひっかかる。
何かよい知恵はないものかとなって出て来たのは、住宅・木材技術センターを大阪の業界あげて支援する証として、センター発行の月刊誌「住宅と木材」一〇〇部を講読しようと云うことであった。
勉強熱心な中川さんにふさわしいアイデアだったと思う。
こうして、けやきなど銘木の盤が四枚、中川さんの亡きあとの今でも大阪のウッドリームに展示されている。
中川さんはあまりにも早く逝かれた。
想い出は数多く、とても書きつくせない。
ご冥福を心からお祈りする。