角田氏よりの訃報でありました。
本当か!そんな馬鹿な事が!思わず大声を出して問い返したあの日から約半年、今その時を思い返し氏の在りし日を偲びなつかしい思い出にふけって居ります。
中川氏との出会い大阪木材青年経営者協議会へ、今は亡き僚友島崎三四郎君の奨めで、入会を許された時であったと思います。
以前よりお名前は存じて居りましたが、二代目会長として活躍中で、発会間もない大青協の運営に努力して居られた時で、実に多才で不思議とも思われる能力で常に信頼と尊敬を集めて居られ、新参者の私には一種の近寄り難い存在でもあった様に記憶して居ります。
大青協の年鑑に依れば、農林規格の研究、映画木材大阪の歩み、青年学級の開催、最初にして最後となった木材祭りのパレード、大青協会歌の作詩等々を手掛けられ、業界でも異彩を放つ大青協を不動の地位に育て上げ又後輩の良き相談役としての面倒見の良さは真似の出来るものではありませんでした。
お互に若く充実した時代を今更の様になつかしく思い出されます。
十日会に入会させて頂いてからは会友と云う気安さもあり、思わぬお世話にもなりましたが毎例会では常に話題を提供された中心的人物であり、特に聞き上手と云うかタイミング良く相槌を打って頂いた氏の心使いが印象として残って居ります。
この度の御不幸の折、以前にお邪魔をした当時と見違える程に生長した緑と木々の、素晴らしい樹勢を拝見致しましたが、氏の作詩による社歌の一部「肌に玉なす汗の露、落ちて一つの木となりぬ、深く根を張り枝のばし……」のイメージと重なり、これが中川氏の歴史だと感動したのを昨日の様に思い出されます。
追悼集を発刊されるにあたり皆様の御投稿を拝読し知り得なかった氏の側面を知り得る事は望外の喜びでもあり指針と致したく思って居ります。
在りし日の中川様の面影を偲び心からご冥福をお祈り申し上げると共に御遺族様の御健勝をお祈り申し上げます。