聞けば八月二十二日の関西保定会で原田閣下の御挨拶を代読し、会のすべてを見届けて帰宅した二、三日あとに倒れられたとのこと、皆のため真心をもって世話をする彼の心情が皆に愛される所以でもあったと思う。
中川様とは保定幹の同期ではありましたが、出身部隊も異なりお話しする機会も余りなかったように思います。
昭和六十二年三月の初旬だったと思いますが、知事室にひょっこり姿を見せてくれました。
それは商工団体が中心となった円高の進展に対応する勉強会(セミナー方式)の講師に招かれ、鳥取にやって来たので是非会いたくてとの事でした。
中川様は「木材流通とは」の著者であり、いい話をして下さっただろうとひそかに喜びながら保定幹の話などをして一時を過しました。
その時「木偏百樹」と言う本をいただいた。
日本に自生する樹木について、その性質や人間生活とのかかわりなどを歌や俳句を交えながら、やわらかに記述されており何か中川様の人柄がにじみでているように思いながら興味深く読ませていただいた。
中川様は、私と同年代であり、まだまだ地域社会のために活躍いただける人であっただけに誠に残念でなりません。
眼鏡の奥の柔和なまなざしを思い浮かべながら、心からの御冥福をお祈りいたします。