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家和百事成

西尾忠男
我家の家宝である掛軸の言葉であります。中川木材店在社中、社長御夫妻に御仲人を御願いし結婚の際、御祝に戴いた先代計三郎社長の御書きになったもので、年々重みを加え、結婚式の祝辞には必ず御紹介させて戴いている言葉です。亡き社長は、大学の先輩であり、在学中には「木材流通論」を御教え戴き、卒業式の前より入社、商売の初歩から、人間としての歩む道まで教えて戴き、又奥様にはやさしく我子の様な愛情を戴き、人生の一番重要な時点で御夫妻の教育指導を戴きました事で私の今日があると感謝の念で一杯です。昭和三十二年四ツ橋の御宅で奥様に心暖かく迎えて戴き、可愛い御子様と、共に働く皆様を御紹介戴いたのが、大阪商人としての修業の第一歩でした。も早戦後では無いという言葉のはやって来た頃で、一日、十五日の休、ヤブ入りの残る古き良き時代ではありました。番頭さんと丁稚ドンの言葉も懐しく、木場の筏に幼き日の水遊びを想い、道頓堀の夜景も日増しに色が深くなる様でした。会社では広島に長野に北海道にと夫々に出掛け、稲荷山駅より十五米材を「トキ」の五車連で、中央線を出発させた時は想わず万才をしたものです、到着材の受入椪積み、外材の検尺と石計算、社長も遅くまで付き合、ヒルマンでネオン見学に連れて行ってくれたものです。そんな昔が、社長の悲報を聞いたときには驚の余り声も出ず走馬灯の様に頭の内を駆け廻り、家族に話しても本当にしなく先年長野に御見えになったばかりなのにと涙ばかりでした。国内産材の減少が叫ばれ、合成材の生産が始まる内で、ソ連材、ニュージーランド材の利用を土建業界にPR、その輸入推進を、海岸埋立てへの積極参加等々に加え、会社の近代化の進む中での、家庭の事情に依る代謝で大阪商人としての私の夢は一時消えましたが、社長のその後の活躍は、社長の人徳と教育の確かさである。退社者の集いである百和会に参加、堺への進出、間伐材への取組、木材団地の整備等々、自社の発展にとどまらず、業界全体への気くばり、木材への愛情、木材への卓見は、多大なものであったと聞いております。社長御夫妻への御礼が、こんな形になったのは残念ですが、社長の御冥福を御祈りすると共に新社長をはじめ奥様、皆々様の御健康と会社の益々の御発展を祈って追悼の言葉とします。

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