藤一さんはその前夜に東京で会合があるとの連絡があり、当日早朝の新幹線で帰阪し、伺うとの事でした。
その日は正午から法事を始めましたのでやや遅れてお詣りをいただきました。
父の法事ですから久しぶりに父方の従兄弟の方々もほとんど集っておりましたので藤一さんも大変楽しそうに時の過ぎるのも忘れて幼い頃の思い出話などがはずんでいました。
だれかが「藤ちゃんあんまり無理したらあかんで」「ちょっと疲れているのとちがう?」と云っていました。
皆が帰り際に「その中、また会いましょう」「みんなそれまでお元気でね」と云って帰って行かれました。
私も私の家族も親戚のほとんどの方もこの日が藤一さんとの最後の日になってしまいました。
藤一さんは郷里の御坊をこよなく愛されていました。
だれもお住いになっていない立派な御坊の生家を多忙の間をぬって年に何回となく見廻りに行かれお墓参りをされていました。
時折生き帰りの道中に私宅にも立ち寄られ、いろいろなよもやま話をされましたし、私もその話を聞くのがたのしみでした。
私も、もう結婚して来年で二十五年目を迎えます。
新築間もない大阪ロイヤルホテルで結婚式の司会をして頂いた時の若々しい美声がほんの昨日の様に思えて今でも私の耳から離れません。
いろいろお世話になりました。
有難うございました。
藤一さんの家族を愛し、亡くなるまで美しい心を持ち続け他人のために尽くされた人生をうらやましく思います。
もう心の中でしか会うことのできない藤一さん。
御冥福をお祈りします。