昨年九月突然の中川君の御訃報に接し、呆然として時間が一瞬止まったようなショックを感じました。
それから半年余、月日を経る程に君の思い出が強くなるのは何故かと、自分でも訝かしく思う程です。
日本木青連の初期の頃から、お互に北へ南へと飛んで楽しく飲み語り合ったものでした。
また日本木材同友会の例会には、君の高説を聴くのが楽しみで出席したものでした。
多忙な君が時たま欠席した時など、ほんとにガッカリしたことを覚えています。
「花の万博、EXPO'90」の大阪鶴見緑地の会場へ同友会員揃ってバスに同乗して、中川君の奥様に御案内頂き、広大な用地で造成最中の様子を、中川君の乗馬倶楽部事務所の二階の窓から眺めて、二年後の四月きっと眼がさめるように美しくでき上った博覧会場を楽しく語りながら見物する情景を想像しておりましたのに、かえすがえすも心残りです。
「春風は賞するに堪えたり、又恨むに堪えたり」と唐詞の一節に咏まれているほどに、まさに季は春、春風まことに楽しく、心地よいものですが、同時に恨みも運んで来ます。
美しく咲いた花も散り落してしまうものです。
日本が方向を失っている時に、そして業界が大きく方向転回の自転を起している時に、ほんとに大切な人を失くしました。
中川君は大所高所から、歯に衣を着せぬ発言をする人でした。
このことは若かった時代から高い評価を得ていたと思います。
昨年、昭和六十三年四月二十日、清水市の木材ビル別館六階会議室で、シンポジウム「清水地域木材業界の将来展望と挑戦」と題して、中川藤一君、安藤友一君、静岡大学の平嶋義彦先生、その司会を私が担当して行いました。
中川君から「木材流通最近の動向」について、清水木産の共販に関連しての幾つかの助言、クイックモーション体制の確立、高品質化(木材の乾燥)を早く推進するよう話されて、多くの参加者に強い感銘を与えました。
このシンポジウムの記録は「木産三十五年史」の第5章に、今後の方向をさぐると題して記録発刊されます。
私が当の編集委員長として五月発刊を目指して、鋭意努力しているところですが、御三方のお蔭で「三十五年史」の価値を大いに高めて頂いたと感謝しております。
中川君の高い見識と先見性が、卓抜な行動力で強力なリーダーシップを発揮されたと思います。
そして"君は燃え尽きたんだなあ"と今原稿のペンを置いて、深夜の星座を眺めながら、中川君を偲んで感慨に耽っています。