中川さんとは、林野庁時代から親しくして頂いては居ったが、当時は、三重大の同窓会等でお目にかかり、お話しができる程度であった。
時折りの話題の中で、中川さんが全国の木材業界に広い交流を持って居られることがわかってきた。
コンサルタントといっても、私の経歴と経験からして、当初は、木材業界と林業界を主力とした仕事から、逐次、拡大していかねばならないものと考えて居ったので、先ず、機会をとらえて、中川さんから色々と御指導を受けることを心に決めて居った。
何しろ、お忙しい方であり、私もまた、格別厳しい会社に居るため、お話を聴く機会がなかなか持てず、随分とやきもきしたものである、当時、大正町にあった中川さんのお店にお伺いして、業界事情について色々と御教示を頂いたが、お忙しい時間をさいて、各般に亘り、懇切な御指導を頂いたことがなつかしく、昨日、今日のように思い出される次第である。
四十七年に、いよいよ経営コンサルタントとして独立したが、収入も蓄えもなく、職住一体で、とても当時流行のコンサルタント会社設立のイメージとは、ほど遠いものであった。
中川さんはみかねて、当時、大阪の木材会館にあった中川さんの会社に、机だけでも置いて、名刺とか広告面に、松原経営相談所が、木材会館内にあるという表示をしたらというおすすめがあった。
この有難いおゆるしによって、私のささやかな相談業務が、やっと動き始めることが出来たわけである。
今から考えると、コンサルタント業の経営はむづかしく、容易には成り立つものではないことがよくわかったが、当時よくもまあ、盲目蛇におじずで、思い切ったことをしたものだと思うが、それがなんとか細々と続けてこれたことは、創業当時に中川さんから頂いた御厚意の賜と深く感謝している次第である。
コンサルタントは、一匹狼でやる仕事だと割り切って、今は自宅を本虚にして仕事をして居るが、先に亡くなった中川さんと同年輩を迎えた現在、これからどんな道を辿ったらよいか、お教えを頂きたく、あの中川さんの温顔を思い浮かべる今日此頃である。