木造二階建、鯉をイメージした斬新なデザインは、工事中から評判であった。
木造建造物の可能性を新たに開らくものと信じている。
このような大型木造建築は、毎月のように着工され、完成している。
種類も、体育館、音楽堂、研修施設などヴァラエティに富んでいる。
この勢いは、羽田農水大臣の表現を借りれば、「木を使おうという国民の大きな声が爆発するまさに直前」といえる状態である。
国民の生活意識が多様化し、量より質、本物を求める時代となって、木の良さが再認識され、加工技術の進歩も大いに寄与した。
しかし、それ以上に、今日まで建築素材としての木材の優秀性を説き続け、展示施設を建てて啓蒙を図ってきた先覚者達の労苦を忘れてはなるまい。
中川さんは、これらの人々の中でも、最も積極的に活躍された人であった。
お蔭様で、木の復権の見通しは、おぼろげではあるが、ついてきたし、その進展は、期待する眼から見ればまだるこしいだろうが、着実となると思われる。
これで、故人の遺志が実現することになるのだろうか。
中川さんに最後にお会いしたのは昨年八月十二日、病床に臥される二週間程前であった。
旧盆とはいえ、第一回地域優良木工品・クラフト全国展の準備に追われているのに、時間を割いてウッドリーム大阪を案内して下さった。
その際、私は、「やがて国産材の生産が増加するが、現在の外材の安定した品質、商流、物流の圧倒的優位性を覆えせるのか、業界ではどう考えておられるか。
また、国民は木材に愛着を感じても、それが国産材か外材かは問わないのではないか。
」と日頃の疑問を投げたところ、中川さんは、「木造建築には、その国で生産された材が一番適しているし、外材は湿気や白アリに弱いから、国産材の良さは分ってもらえる。
確かに材質や商流など改善すべき点は多いが、それはこれから取り組めばいいので、大丈夫だ。
」と、明快に、自信に充ちたお答えをいただいた。
国産材生産者の一人として、国産材時代を到来させなければならない責務を自覚しつつも、川上から川下に至るまで山積した余りにも多い課題に、悩みが深まるばかりの私に中川さんは何と頼もしく思えたか。
そして、思いもかけない知らせ‥‥‥‥‥。
今、遺著「木材流通とは-国産材時代への戦略」を学びながら、未だショックから立ち直れない自分を見出している。