拙文を省みず体当りにてお偲び申し上げます。
中川藤一君と呼ぶよりも五十有余年称呼して来た愛称「藤ちゃん」を偲びます。
「藤ちゃん」と日高中学校五百の健男児校歌を歌った仲間です。
丸坊主頭の九十八名の同期生が甲組乙組の二組に別れての勉強でした。
腕白小僧が初めての教養課程の勉強でした。
「藤ちゃん」は小柄であり整列の時は前列組でした。
従って別称「豆ちゃん」とも呼ばれることがありました。
豆々しく敏捷に動いて居りました。
一年生二年生と進学するに従い「藤ちゃん」は小柄な豆でも大樹の器として変身して来ました。
勉強は勿論運動学芸音楽と幅広い分野に頭角を現わし私達の話題の核でした。
陸上短距離ではダッシュの藤ちゃん頑張れでした。
音楽は美声とは思われませんでしたが声量は抜群で聞く人を傾聴させました。
音楽の先生に音楽学校への進学を勧められた程でした。
でも「藤ちゃん」は断りました。
他に使命感を持っていたからでしょう。
先年御母堂の追悼集を贈って下され拝見しました。
「藤ちゃん」の生い立ちや内なるもの、人の心に触れる思いが出来ました。
御母堂抜きでは「藤ちゃん」を語ることが出来ませんが士魂商才の七代目父よりの商魂の伝授あり又教養豊かな賢夫人の母の愛情を一身に受けての研鑽の賜と思います。
母と藤ちゃんの繋りは尋常のものではありません。
御母堂は敬虔なるキリスト教信仰者であり神の子日々新たなりと総てに全力投球して生きている姿は「藤ちゃん」の為人人格を形成する背骨となっている様です。
聞くところに依ると名医羽山家の息女として訓育され名士大学者南方熊楠先生他の知遇を受け信仰の道をも深められた賢夫人でした。
「藤ちゃん」も同じ信仰の洗礼を受け母の日々新たなりを我が心として受け継がれ家業木材に使命感を持って日夜公私に亘り奮闘されたことは衆知の通りであります。
昨年出版記念パーティで久方振りにマイ・ウェイを熱唱する姿は正に「藤ちゃん」そのものの姿であり勇ましく感じられました。
謙虚であり明るい笑顔が持前の「藤ちゃん」が経済大国日本の産業戦士として中川家八代目の壮烈な戦士の訃報は霹靂のショックであり感慨無量でした。
一時は虚脱感さえ覚えました。
九月二十二日日本キリスト西協会での追悼式に参列させて頂き「藤ちゃん」がほんとに神の子として召天され愛する御母堂と天国を同じくして漸く平安を取り戻したのだなあと納得出来又慰められました。
「藤ちゃん」天国で安んじて下さい。
謹んで追悼のお祈りを申し上げます。
(平成元年二月二十四日)