昭和60年1月私は大阪に転勤して、間もなく、先生と再会する機会を得ました。
そして先生から「中川木友会」会長就任の御依頼を受け、以来今日まで御指導いただきました。
日頃、間伐材の、利用等内地材の利用普及に情熱を傾けられ、「中川木友会」の野外研修会では、その一端をテーマとして取りあげ、くわしく解説いただきました。
淡路島、アウトドアインテリアとしての木の使い方滋賀旅行、間伐材を利用した迷路工事、ウッドリーム大阪の建設奈良シルクロード博における、メーン会場での吉野杉を生かした、パオの建設、等はその、一例です。
私は20年来主として南洋材の開発輸入業務に関わって来ましたが、この業界も丸太の大量輸入時代から付加価値の高い二次加工品化、新しいマーケット作りへとその流れは大きく変って来ています。
「木を知る」「木を知ってもらう」「貴重な木材資源を大切に使う」このことを自から実践し、先頭に立ってその普及に尽くされました。
中川木友会での先生との出合い、野外研修会における体験私のわずか四年間ではありましたが大阪における忘れることのできない、貴重な一頁であります。
昭和四十四年に発足した「中川木友会」も今年は第十七回となります。
今は亡き先生のあとを受け新社長を中心に、有意義な「木友会」を開催し、先生の御意志を、受け継いで参りたいと思います。
心からご冥福をお祈り申上げます。