帰阪後、緊急入院されたまま、帰らぬ人となられたという訃報を耳にし、あんなに健康で気丈夫であられたのに、人間の運命のはかなさをつくづく思いました。
中川さんは、木材流通業界の最前線におられながら、大学の教壇に立たれるなど広い視野の持主で、川上から川下まで広い範囲で活躍されましたが、特に昭和48年の木材企画改正に際しては、故若木寛氏と共に流通業界の委員として、生産者と流通業者との意見の相違あるときも、持ち前のおだやかな話術で合意点をみつけられるなど、リーダーとして積極的な行動によって業界の発展のため尽されました。
昭和62年8月に中川さん他2先生により発刊された「木材流通が変わる」の文中に、「21世紀にむけ自分の力だけ、自分の知識だけでやって行こうと思っているところは、結局競争に敗る」と述べられておりますが、大阪業界は伝統的に自由な経済活動を好み、ややもすれば国の助成援助を敬遠してきましたが、中川さんは美原木材団地の運営に当たっても、郵便局、ウッドリームの建設をはじめ、進出企業に対する低利の国の資金導入など、今はやりの産学共同により活力を引き出すことを早くから実践されたことは、今後の業界発展に活かされてくると信じます。
最後にご遺志のとおり木材需要拡大が図られ、御霊やすらかに願う次第です。
合掌