場所は、大阪市西区西長堀でありました。
中川さんはその時、和洋林産株式会社の専務取締役として誠に若々しく颯爽たる御姿であり、特に乗馬スタイルがぴったりという感じで大変好感の持てる青年紳士でありました。
直感的に将来多くの人々の代表となられ大変な御活躍をされる人と思ったのであります。
その後私は、昭和30年に東京の木場に移転を致しまして、永く御無沙汰を致しておりましたところ、昭和48年に当社の本社に於きまして一度お会いする機会を得ましたが、時間もなく御挨拶を申し上げたのみで何も御話をする事が出来なくて残念に思っておりました。
その後昭和60年2月に日本木造住宅産業協会近畿支部設立に当り、関係業界・各界の方々を披露パーティーにお招き申し上げた時に、大阪木材工業団地協同組合理事長として御出席を賜りました。
以来私共の協会に対しまして、まさに献身的な貢献をして頂きました。
又、会発足と同時に先ず会員として御加入を戴き、更に木材流通とは「国産材時代への戦力」の御自身の御著書を多くの会員に御配布戴きました。
私も御拝読致しましたが、木材流通・国産材の将来展望を適格に洞察されている点に付き、特に大きな感銘を受けた次第であります。
私といたしましては、早速中川さんに協会の幹事をご依頼し、ご指導賜ります事をお願い申し上げたところ、御快諾を戴き、また協会の事務局まで御引受け下さると共に、中川さん亡きあとも田中常務取締役に御多忙にもかかわりませず事務局長として御尽力をいただいている次第であります。
その後、木偏百樹の御著書も数多くの会員に御贈り下され、その上大阪木材工業団地協同組合の色々なる行事またはイベント等にも当会員を御招待いただきまして色々なる角度から我々業界に対して御指導、御後援を賜りましたる事を振り返りますと感謝の数々の念にたえません。
帰らざる人となられた中川さんに対し誠に申し訳けなく、又すばらしい方を失った事を心から残念でなりません。
数々の思いが去来致しますが、今となってはどうすることもできず、ただ中川さんの永遠の御冥福を御祈り致しまして御追悼の拙文と致します。