とりわけ、戦争による荒廃は、大阪の木材業界にも大きく影響したのですが、やがて、急速な都市の復興による需要の向上に支えられ新たな展開が迎えられることになりました。
しかし、それは単なる戦前の流通秩序の復活ということではなく、他の新しい素材との競争や、流通構造の変化、外材の流入への対応など、多くの困難な課題への取組みを迫られての展開でありました。
中川藤一さんが活躍されたのは、まさにこういう時期であり、このような時代の変化に積極的に対応しようとする、いつも前進する姿勢でのご活躍であったと思います。
新しい時代に対応するためには、新しい業界組織の確立と時代に即した経営方策の導入が必要ですが、中川さんは早くから、大阪府木材組合連合会や、大阪木材青年経営者協議会の結成、運営に深く参画されましたが、とりわけ、多大の労苦を重ねて大阪木材工場団地協同組合の結成に努力され、美原に、立派な木材団地を実現されました。
この団地には、ウッドリーム大阪やログハウス「やすら木」など組合員のため、職員のためのユニークな施設がありますが、その一つ一つに中川さんの心がこもっているように感じています。
本当に中川さんは熱意の人でありました。
中川さんのもう一つの面は、三重大学の講師をはじめ、大学や研修会で後進の育成に当る教育者の役目を果してこられたことです。
平素から、寸暇を割いて木材に関する勉強を積み重ねられたのはもちろん、いつも最新の情報を集め、著書にし、あの柔和な笑顔と雄弁で人々に説いてこられました。
江戸期の山片蟠桃などの町人学者の伝統を受け継ぐ一人であったような気がします。
中川さんの撒かれた木材業界への情熱の種子が、いつか、聴講した後継者の胸の中に大きく育っていくことでしょう。
木という永遠の素材を愛し、それに一生を捧げられた中川さん、不撓不屈の信念と熱意をこめた行動力で業界をリードしてこられた中川さん、今はもう亡い。
しかし、業界に残された多くの作品としての事業や、教育者として撒かれた種子の一つ一つは、大阪の木材業界の新しい発展のために、いつまでも役立つものとなっていくでしょう。