最初にお会いしたのはたしか奈良に於ける全青連大会のときだったと思う。
懇親会の宴で、突如さっそうと浴衣姿で踊り出た中川さんをはじめ大阪の友情出演には驚かされたが、以来三十年近い歳月が流れた。
私にとってつねに兄奉し、敬愛してやまない、深く心に宿る中川さんである。
ほんとに心優しい人だった。
木を愛し、人を愛し、芸術を愛する中川さんだった。
自身のことよりもつねに公のことを優先され、木材業界を憂えるお気持が人一倍つよい方であった。
中川家ご先祖様のご遺徳かも知れないが、陰ながらしずかなお心づかいで、つねにしっかりと支えておられた奥さまとのご夫婦一体のわざではなかったろうかと心秘かに思っていたことである。
クリスチャンであられたことをあとで聞くに及び、むべなるかなとも理解させられた。
昨年の木材同友会の大阪例会でご厄介になったとき、バスの中で中川さんはしきりに健康について語られた。
中国の健康薬を紹介され、精力剤も頂戴したことを想い起すが、ご自身の健康について殊のほかご留意のご様子であったのに、鳴呼何という運命のいたずらであろうか。
中川さんといえば卓越したアイデアの持主であり、ヒラメキとその実行力である。
いつも求道者的な活力とひたむきな行動力にはいつも頭が下る思いであった。
全間協(全国間伐対策協議会)会長としての超人的なご活動も、日本林業の将来を深く憂慮され、木材利用開発への道を拓こうとする愛ひと筋の全人格的実践行動であった。
私も驥尾に付して中川さんの指導をうけた一人であるが、何故にこの様な旺盛な意欲的な指導力と行動力をもっておられるのか不思議にさえ思えることであったが、他人のためになることを希いながら一身を投じようとする、これぞ真の先覚者というべきか。
指導者というべきか。
こういう人こそ全国業会から国会議員に選ばれるべき最適な方ではなかったか。
ああ今や亡し。
まことに淋しくも悲しい限りである。
美しいものも数多く見せていただき教えていただいた。
いま私の机の上にある銀製の鳩の朱肉入れもその一つである。
優しく美しいそして仲睦まじい二羽の鳩を眺めつつ、幾星霜が流れた。
昨年日本経済の交遊抄に私の名前がのっているというので多くの方々から電話をいただいてびっくりしたが、鈴木政夫先生の彫刻展を紹介した友人として扱われ恐縮した次第である。
美を求めつづけた中川さんの追憶はいつまでも尽きない。
み魂の永久に安らかならむことを祈りつつ。