私が最初に、故中川藤一さんにお出会いしたのは、昭和三十四年頃で、中川木材店は、当時、未だ、杭丸太・長尺のパイリングなどを主に扱う納材業者で、現場には力を持て余した若い社員が大勢たむろし、活気に満ちあふれ、自前のラグビー・チームも持って居た。
私も若く、当時は、ニチメンの大阪木材部で、合板の輸出をやっていたが、会社のラグビー部に属して居り、二、三回、中川木材と試合し、その後、中華料理など御馳走になった事、仲々、うまかった事など記憶している。尤も当時は何を喰っても、うまいと思ったが……。)
中川さんは当時から仲々の論客で、颯爽として居られ、我々には誠に、まぶしい存在であった。
その後、私自身は、海外駐在、東京転勤などで、大阪を離れ、昭和五十五年頃から、二十年振りに、中川さんとのお付合が、再び始まった。
その間、中川木材店は、杭丸太納材業者から、建材主体の問屋に、業務内容を変えて居られた。
転換の道のりは、必ずしも平坦なものではなく、種々御苦労もあったと聞く。
私の大阪木材部長時代には、特に中川さんには、色々と薫陶を受けた。
ある時中川さんは若い社員に、こう云って居られた。
「木材屋の親父は、サラリーマンではないので、物の値段の安い、高いだけで商品を仕入れるものではない。
自分で何でも決められる故、セールスの人間が嫌いなら、最初から、いくら値が安くても、その男からは買わない。
相手に好かれ、信用されなければ商売は出来ない。」と。
ともすれば、品物が良く、値段が安ければ、商売はいくらでも出来るのだ。
セールスマンの態度など、二の次だと考えていた私などは大いに感銘を受けた。
品物が良くても、本当に良い事が分って貰えるには時間がかかるし、信用されているセールスマンが必要である事、よく理解出来た。
「セールスマンは、品物を売る前に、先ず自分を売込む事」と、よく云われるが、中川さんの言葉は、実戦に基いた適切なアドバイスであった。
中川さんの御冥福を心からお祈りします。