小屋から起き出して来た市郎爺は、それに向かっていつものように深呼吸をして今日の好天を喜んでいた。
すかさず後を追って来た柴犬の八も、前足を揃えて背筋をのばし大きな欠伸をしている。
この山に入って八年、かなり切り出したが、払い下げを切り終るにはまだ小三年はかかるだろうか。
啄木鳥がどこかでるるるるるるるうっと錐もみをして静かな山気をふるわせていた。
爺は小屋の横の流れを引いた筧の沢水を掬い、無骨な指で歯をこすりながら、今日これから鋸を入れさす崖近い一本の大欅に目を投げていた。
この道に入って五十余年、小さい時から兎を追い、小鳥の罠かけをして飛び廻った挙句の果て、親から山師へ弟子入りをさせられたのだった。
市郎少年は魚が水を得たように喜んだ。
その頃の山には天恵の大自然がまだふんだんに拡がっていた。
木を切り出すのも山師といったこの時代、矢張り金になったのは、建築材の王座を占めている欅に目を向けることだった。
若くして奉公に入った市郎爺は、親方のその欅を見る目を知らずのうちに培われていったのだった。
爺の生まれた山ふかい村では、先祖の時代から誰もが欅の強さとその木目の美しさが、最高の建築材であることを知っていて珍重したのである。
村の神社やお寺はどこも総欅で建てられていたし、村の家々も自分の持ち山の欅で大黒柱をはじめ主な柱敷居や鴨居、そして建具はその腰板までも欅でひかっていた。
市郎爺は、そうした美しい建築用材としての欅について、その木目の素晴らしさに憑かれていたのだった。
その「もく」の多い欅を、原材の立木のままで見分けることをいつとはなしに会得していたのだった。
それはその生えている地形や土質、気候、幹や瘤や枝の張り方や混み方などを見ることによって感に近いほどの鋭敏なひらめきが来るのだった。
ひとり立ちした山師の爺が買い入れる山は、人跡未踏に近い官有の奥山であった。
一山あちこちに疎らに立っている欅の老幹を眺め、その枝ぶり一つを見ただけで、値のつく木目を知っていた。
そうして入札した一と山を切り出すのに、十年十五年と山小屋に住みこみ、木挽を雇い、出し方を使って巨万の財をなしたのだった。
彼の胴巻にはいつも大きな印伝の札入れがふくらんでいた。
子に恵まれなかった女房のおしま婆は、黙々と働き、山仕事の木担の炊き出しや身の廻りの世話に精出していた。
せまい所を切り開いて、僅かな年月の暮らしの野菜づくりで自給の糧とした。
欅山の下木の雑木を切り出していた炭焼も、それを町まで運び出す駄賃つけの男衆も、市郎爺の欅への目効きには五目も六目もおいて、信頼してその下請の恩恵にあずかっていたのだった。
しかしそうした山師市郎親分にも好事魔多しというか、酒の上で誘われた博打にのめりこんでは、すってんてんの裸一貫になったことも再三でなかった。
働くことしか知らない女房を住み込み女中にまでおとしたが、運の強い山師は欅のもくの目効きでその都度もりかえすことが出来たのだった。
まだ底冷たく吹きあげる早春の谷風に頬をなぜられながら、市郎爺は、自分の眼を信じてかかったこの山の切り出しが終ったら、ここの山小屋暮らしを引き払って、生まれた村にこじんまりした総欅の家をつくって、婆さんとのんびり暮らすことを夢みているのだった。
中川さんが上梓された「木偏百選」に共鳴して俳句をお出しした。
子供につながる父兄同志という仲で、家も近いし親しくつきあい、年に何度か集まり酌みあって楽しんでいた。
それがもう出来なくなってしまった。
ダンデーな姿でうたう美声が耳を離れない。
濃き髪をなびかせつ行く夕野分(岳水)