私より一歳若い中川さんが忽然として急逝されようとは暫くは信じ難い思いでした。
昭和三十七、八年当時戦災復興の為の木材需要が一巡し、業界の景気にも何となく翳りが感じられる様になった頃から、中川さんは我々業界人に訴えアピールしたい何物かを強く心に秘めておられた様に思われます。
時代も昭和三十年代四十年代、そして五十年代へと大きく変化をして参りました。
その当時流行語となった重厚長大型産業が軽薄短小型へと移行して参りました。
言を換えれば資源重視から技術サービス重視へと変化、木材流通にも目に見えぬ質的な変化が起って来たわけです。
又この頃から住宅業界へ大型異業種の参入が相次ぎました。
この儘では我々の木材業界はジリ貧になる。
将来の見通しも暗い→こんな想いが中川さんの胸中に出来ましたことと思われます。
今後のサバイバル戦争に勝ち抜く為にはこれからの新しい木材流通を学びとってこれに真剣に対応する努力が必要だとして幾つかの流通に関する著作を発表されたと思う。
木材流通を改めて商流と物流に分け、更に今後の流通の変化をいち早く読みとってこれに対応する必要を最後の著述で示されたわけで、私はこれらの労作に対し万腔の感謝を捧げると共に、業界に与えた警鐘に対してもその功績を大きく讃えたいのです。
中川さんとはかつて仕事の面で意見利害の対立したこともあり激論を交えたこともありましたが今はその凡てが夢の彼方、むしろ懐しく思い起されます。
中川さんとは多分学令も一緒、業界入りの時期も殆んど同時ではあったけれども、府木造木材会議等公的なお付合以外の私的な御交誼を得る機会には余り恵まれなかったのは今になって見れば大変残念でしたが、併し日常の交りを超えて中川さんから教えられた思い出は教え切れない。
今は唯故人の御冥福を心から御祈念申上げるのみであります。
合掌