当時業界若手のホープと言われた中川君だけあって、会話に万事卒がなく快活で、流石と強い印象を受けたことを昨日の如く憶えている。
其後三十年代は殆ど交流はなかったが、昭和四十一年浅野君の紹介で私が十日会に入会させて頂いた処、メンバーに中川君が居られそれ以来二十数年にわたって御交誼、御教導を賜った。
中川君は木材の利用について非常な情熱を持たれ、木造建築の推進、振興に力を注いで居られた姿は今も忘れられない。
私は林業で木材生産の方であり、仕事上は直接関係はなかったが、木材利用には関心があったので、中川君の熱意、努力、見識には教えられる処も多く、敬意を払っていた次第である。
又、中川君は非常に人の世話を良くされた。
去る昭和六十一年大阪に於いて植樹祭が開催された折、アメリカ・オレゴン州の客人に、良い場所で植樹祭のセレモニーを観せたいと思われ、色々と調べられた結果、小生が国土緑化推進委員会の副会長であることを発見されて依頼があり、期待に沿い得たが、その間に尽された手立ての数々を伺って如何に友人を大切にされるか中川君の人情味溢れる御人柄に接し、私自身見習らわなくてはならないと教えられたのであった。
好感卒然として逝く、痛恨に絶えず。
唯、冥福を祈るのみ。
(平成元年五月一日記)