本当に忽然と他界されたせいでしょうか、そうでないような思いです。
ご発病の報に接した時も、あんなにお元気な方がと、耳を疑いながら病床にお伺いして、お変りになったお姿に接し、ただ驚愕して言葉にならなかったことでした。
闘病の甲斐もなく、九月五日に亡くなられました。
生者必滅とは申せ、あまりにも儚いご最後でした。
十年余のお付合いでございましたが、いつも悠揚迫らず、温顔笑を湛えられながら、でも圧倒される何かを感じさせる、お人柄でした。
ご自分のことは何も話されなかった方でしたが、洩れ承まれば、木材界は勿論、経済界、学界、また広く社会奉仕に、それぞれ重責を担い、文字通り八面六臂のご活躍なされたとか、責任感の強いお方で、数多い重要な、お役柄のため、東奔西走、寧日なきご活躍であった由、矢張りご無理が、お障りになったことでしょう。
また詩歌、文学を能くし、素晴らしい作品、出版された書物の数々を拝見して、お人柄の重厚さを深く感じたことでした。
二男博司君と娘の婚約が整ったとき、二人の成長を希望して、木と花を題材にして、長い詩を寄せられました。
その慈愛の深さ、詩そのものの美しさは、何の素養もない私ですが、感服したことでございました。
何事にもこだわりのない方であったと、尊敬するばかりでした。
娘の結婚話を頂いたとき、とてもとの思いで、辞退させて頂いたのでしたが、因習などに捉われることなく、家族全員を同伴して、陋屋を訪ねられたことなど、感銘を受けたことでした。
この人をなくしたことは、惜しみても余りあることですが、天は二物を与えずとか、詮ないことでございます。
永遠のご冥福をお祈りしてペンを擱きます。