貴兄との出会いは私が大青協に入会した時に始まります。
常に温顔をたたえ他人の意見を 良く聞いてくれた人でした。
二人は兄弟以上の信頼と親愛の気持で結ばれ正に阿吽の呼吸 の間柄でありました。
大青協の創立者の一人であった貴兄は、所謂創設の難を双肩に担っ て非常な御苦労を重ねた事と思います。
しかし今や大阪木材業界にとって掛替えのない重 要な存在になって、随所に活躍している「大青協」の実情を見ている時、貴兄の本懐躍如 たるものを禁じ得ず、「中川さんよくぞやって頂いた」と大恩人に深々と頭を垂れる次第で す。
又昭和三十五年頃、日本経済の高度成長期に、我が木材業界も将来への、より一層の発展 の一環として、大阪府農林部の御指導により、美原地区に於ける木材団地の建設問題が提 起されました。
大阪木材業界は打って一丸となって対応しましたが、貴兄はその建設の最高責任者の一人 となって全身全霊をぶち込んで奔走し努力された姿は筆舌につくされないものがありまし た。
我々の尊敬と期待を一身に集めて頑張ってもらいました。
三十年に垂々とする長い年月の 努力の賜として、今日の比類ない大阪木材工場団地協同組合が出来上って来たものと確信 致します。
「大阪に美原あり」と申すより「日本の美原」としての地位を自他共に認めるに至ってい ます貴兄の卓越した先見性、強力な実行力と指導力、人をまとめる大きな包容力等々全て を備えつくした上での大車輪の大活躍の尊い結果であります。
貴兄が業界に尽された大き な「奉仕」に対して、深甚の敬意と最大の称賛を惜みなく捧げる次第です。
業界に於ける 貴兄の使命は之からが、本番であると思っていた矢先に忽然として逝ってしまい、正に無 念の一語につきるものです。
翻って顧る時、大青協は益々立派に成長の道を歩みつづけています。
大阪木材工場団地協 同組合も貴兄が考えていた後継者によって何の澱みもなく前進しています。
大切な家業で ある中川木材も御子息の不退転の決意で、キチっと経営に当って居られます。
輝子令夫人 も御健康で、残られた方々を温かく見守って居られます。
中川さん御懸念される事は何も 無いと信じています。
公私共に格別のご昵懇に願った者として、公私共に御恩返しをさせ て頂ければと念願しています。
大青協と美原の二つに限って追悼の言葉とし、安らかな御 冥福を哀心より御祈り申し上げます。
合掌