約三年、私が組合の経営管理教育をお引受したときに始まる。
短い期間ではあったが、それだけに強烈な印象が残っている。
私にとって、最大の印象となった理由は、この種の組合の理事長とか会長は、その各々の任期の安泰の中での発展を考えるものである。
しかし中川氏は、よりマクロ的に協同組合の布石を頭に画き、目先だけでなく、将来に備えられた数少ない本物の業界リーダーであったからである。
氏の氏たる典型は、組合の将来にわたっての財政基盤に対する配慮、先に先に後継者の抽出とその育成、関係官庁とのリレーションの構築、木材業と異種業界との融合化の方向づけと、任期を越えた先見性と着実な布石にある。
具体的には、協同組合の合理化計画の立案・長期経営計画の策定及び将来に備えての幹部に対する経営管理研修講座の常設である。
現成瀬理事長(当時副理事長)を通じて、研修の常任講師を依頼された私は、「大変失礼ではあるが私は次代の若手リーダーの育成ならお引受する」と発言したところ、中川さんは即座に「私の意図も、まったくその点につきる。
私の頭の中には私の後二代のリーダー構想までもっている」といわれた。
また「考えている、構想だけでなく、育成の実行動の中で絞り込みをしたい」と。
まさに先見性と具体的な目標管理の実践者であった。
今一つ忘れられないエピソードがある。
亡なられる一ヶ月程前のことである。
組合の資産運用会議の席上で、私が依頼し同席していただいた地域再開発のコンサルタントと、とある行き違いから激論となり、まずあれ程カッとなられた理事長を見たことがない程激昂されたことがある。
その場は話題をかえ収めたが、私も話の誘導に責任もあり、先輩に対する失礼も考えて、翌朝お詫の書面を書いていた。
書面を書かないではすまされない私の気持がそうさせたのである。
と私の書斎の机の上の電話がケタタマシク鳴りだした。
電話を取ると中川さんである。
「申訳ない」に始まり、「昨夜は気になって」と謝りの電話であった。
私も「理事長、今、私もお詫の手紙をこの机で書いていたところです」以心伝心、中川さん程の偉い人が謙虚な反省の中で、素直に自身で電話をかけてこられる、しかも早朝のことであった。
私はあらためて中川さんの偉さを再認識したばかりか、畏敬の念さえもったものである。
惜いリーダーを亡した、願くば氏の意図された後継者がよりよき組合づくりをされることが、氏に対する最大の供養だと思っています。