もう一つは、これからの木材業界は、他の業界との競争とともに、木材業界内での激しい競争場裡に入っていくわけですから、お互いに選別される時代に入っていくことを覚悟しなければならない。例えば、商社にしても、いままでは「売ったるわ」ということでしたけれども、「もうお前のところとは取引せんぜ」というように変わってくる。製材所も生産過剰になってきますから、いままでだったなら「お前のところへは売ってやらんわ」と言われたら仕入れソースがなくなってしまうので製材所をたてまつっていたけれども、これからは製材工場が製材問屋から選別されるようになってくる。流通業界においても、いままでは大工さんが「あそこには加工する場所も借りているし、手形でも売ってくれるんやから、もうあそこ以外だったら、われわれに売ってくれるところはない」というように、くっついてきてくれていたわけですけれども、これが生産・流通過剰のために、大工さんが逆にわれわれ木材業者を選別するようになってくる。そういう選別の時代になってきます。
ですから、私は、この昭和六〇年代は連合体の時代ではないか、と考えます。と言うことは、木材の生産、製造、そして流通という三つの部門の連合体同志の競争になってくるのではないか、ということです。いい産地、いい商社、いいメーカー、いい流通業者、いい建設業者その四者の連合体の勝負になるのではないか。
いままで連合というと、同業種によるヨコの連合――製材業協同組合とか木材業協同組合だとかが考えられてきました。こうしたヨコの連合、従来の協同組合は業界のレベルアップには大いに役立ち、政府もこれに力を入れ政策金融も大いにそのルートを重視してきたのですが、ぼつぼつその悪さも出てくるようになってきています。例えば共同購入の場合に、安く買えた時は組合員で平等に分けるけれど、値下がりして共同購入したものが割高になった時は、お世話した幹部の方々が損をして引取らねばならないなどの問題があります。また、組合長、副組合長に自分の会社を犠牲にする気構えがない組合は、うまく行かないようになっています。本来、組合のあり方は組合員平等であるとの発想から出ているのに、いつの間にか平等の中の差別が大型店に不利に固まってきているからです。
私は先年、異なった業種(大工、木材、左官、塗装など)による協同組合の設立を考え、ずい分大阪府とも交渉しましたが不可能で、結局、全員に建設業の許可をとらして組合を作ったことがありますが、現在異業種の組合設立は不可能ですが、三~五年のうちにはそういう組合の設立も可能になるでしょうから、異業種の協同組合が幅をきかすようになって建設業界の底辺を支えるようになるでしょう。建て増し、内装のやり替えなどは家族でやり上げるということが増加するでしょうから、木材業界が建築、インテリア両業界と組んで、そうしたことのよいテキスト本が作られるようになってゆくでしょう。大手異業種の日曜大工店に対抗して木材業者並びにこれに関連した卸業との合作のDIY業界も発展してゆくようになるでしょう。巨視的にみても、同業種のヨコの連合から異業種によるタテの連合へと変化してゆくことが推測されます。
いままで言われてきた連合とは、せいぜいメーカーと流通の連合、商社と問屋との連合の域にとどまっていたと言えます。いままでも、大きな木材輸入商社が一つつぶれることによって、それに関連している入荷ソースの末端までもが一様に危なくなってくるということがあったわけですけれども、これから木材業界内の競争が激しくなるにつれ、連合の上と下の幅が広くなって、産地と末端までのいい連合体がしっかりと組まれないと、商売上の危険度が増加してくるということになります。いい産地、いいメーカー、いい消費地がうまく有機的に、精神的にも結びつく。そうした連合体がいくつか形成されて、そのそれぞれがいい意味での競争をしながら、すぐれた連合体を組んだところだけが残ってゆくという時代になっていくと考えられるのです。これから六〇年代の初めにかけて、そうした連合体づくりが始まってくるのではないでしょうか。
私たちがいま大阪で、「木材利用普及研修センター」づくりを進めているねらいの一つには、そうした状況を踏まえ、産地の方々と消費地の流通業者との結びつきをつくるお手伝いをすることが入っています。一方では、一般消費者あるいは建築屋さんに、木材のよさを普及宣伝し、消費者のニーズにマッチした木材製品の開発を進めていきながら、一方では、産地の方々に町の実際の消費を担っている流通業者とのドッキングを図ってあげたい、そういう機会を作りたいというのが、私たちの願いです。
いい産地、いいメーカー、いい流通業者、いい建設業者、この四者のすぐれた連合体はこれから六〇年代においても発展してゆき、そうした時の流れに乗ることができず、逆に自分の力だけ、自分の知識だけでやってゆこうと思っているようなところは、結局、競争に負けてしまうのではないか。その勝負がこれから五年ほどの間に決まるのではないかと、私は見ております。