流水は腐らず」、つまり流れている水は腐らないが、淀んだら水は腐るんだというたとえですが、商売においても同じことが言えるわけで、同じところに停滞していると経営者の気持もゆるんできますし、社員の仕事ぶりもマンネリ化してきます。ファイトが出ない、面白味がなくなってくる、先に希望が見い出せなくなってくる、ということになるわけです。ですから、管理監督者は、水が淀まないように、常に走っていなければならない。それによって、企業が前進することができる。本人も一つ階段を上がることができるのです。
同じところにいたのでは、いつまでたっても視野が伸びないけれども、無理して一つでも階段を上がると、いままで見ていたところと違う世界が見えてきます。あそこにあんな花が咲いているのではないかとか、あそこに新しい需要先があるではないかとか、いままでは見えなかった世界が開けてくる。現在のようにとくに急テンポで時代が変わってゆく中で、次の需要先はなんだろうかと考える場合、階段を無理して上がることによって、新たな需要先が見えてくることは非常に多いと思います。また、考え方によって目の前が開けてきます。
この点については、次のようなたとえ話をよくします。 東京にしても大阪にしても、沖積層の上に町ができているので、昔から良質な水はしょっちゅう不足しているわけです。このために、大阪ですと、河内あたりから水を汲んできて、船に積んで売りにきていたようです。東横堀なり西横堀を通って売りにきた。それを見て、「大阪ちゅうところは、何と住みにくい所やなあ、水まで買わんならんのか。田舎におったら水はタダだったものが、金出さんならんのか」というように思った人と、「なんと大阪ちゅうとこは商売のしやすい所やな、水でも売れるやないか」と、そういうふうに思った人と、二通りの人がいるのです。同じ事象を見ても、全く反対の考え方が生じている。ここに商売の面白味があります。
また、あるサンダルのメーカーが、新しい売先はないかということで社内討議をしたら、若い連中は、「それはもう全然靴をはいていない所へ靴を売ったら売れるのと違うか。だからアフリカへ行ってサンダルを売ろうや」という話をし、年寄りの人は「そんな、靴を全然はいていないところへ靴を持って行って売るバカがあるか。靴はやっぱり靴をはいている人のところへ持って行って売るべきだ」と話をしたそうです。そのメーカーの社長の判断がよかったのでしょう、「若い者の言うとおりや、靴をはいていないところへ持って行ったら、靴をはかすことによって全員に売れる」といって、アフリカへサンダルを売り込み、その会社は成功したという話もあります。 それから、これは皆が知っている話ですが、味の素の会社で、もっと売る方法はないかと社内の意見をつのったら、若い子が「穴をもっと大きくしたらいいやないか」ということで、"味の素の瓶の穴を大きくしたら一回に振って出る量が増えたので販売量が上昇したとか、仁丹でもいままでは一粒か二粒しか出なかったのを、最近では応接間用の仁丹の容器を作って、一回振ったら二〇粒ぐらい出るようになって、それで売上げを伸ばしたとか――、いろいろ面白い話がありますけれども、発想の転換というのはそういうことであろうと思います。年をとっていても柔軟な頭の人もおりますけれど、「新しい発想は三〇歳台まで、六〇歳台の者は判定する能力しかない」と言われているように、新しいアイデアは、だいたいにおいて若い人たちの考えを素直に受け入れるところから生れてくるのではないでしょうか。