労務管理は、どこの業界でも大事なことですが、とくに木材業界では労務者が老齢化していますから、いかにして若い人をこの業界に引っ張り込むかということについて、山の関係の人も、流通に関連している者も、真剣に考えねばなりません。その際、若い人たちがどういうことを望んでいるかを考えることが出発点になります。若い人にとって、お金だけが問題になっていた一時期があったし、働きがいだけが問題になっていた時期もありました。いまは、フィーリングの時期ですから、木材がアイテムとして、日々の仕事として、面白い・興味のあるものなのかということが大事な時期になっていると思います。その意味では、木材とか森林とかにとって、いまはいい時期なのです。
いま、若い人の好むものは何か。一般の木材屋さんなり林業関係者は、若い人は木材や森林を嫌っていると思い込んでるけれど、それは二〇年前、三〇年前のことで、その当時の「大きいことはいいことだ。消費は美徳だ」と言っていた時期は、我が国の経済が急成長している時期で、石油関連の業界が若い人を引きつけた。これは世の中不思議なもので、沢山あるものをいかに使うかということの中で、沢山あるものを使う人は偉い;という風潮があります。具体的に言いますと、戦時中から終戦直後にかけては人が沢山あまっていた。すると、人を沢山使う人が偉い人でいい人だ、「私のところの社員は何十人おります、何百人おります」ということが、まず会社のキャッチフレーズになっていたと思うのです。一般家庭であれば、女中さんを何人か使って、男衆も使っているような地方の豪邸の人は、「あの人は立派な人だなあ」と皆から尊敬されていた。そんな時に合理化して、女中の一人も使わないようなことをしたら、「あいつはケチでつまらん奴だ」と言われたでしょう。朝から雨戸を開け出して昼間でかかる、昼から戸を閉め出して閉め終わるまでには夕方になる、というような家に住んでいた人が「立派な人だなあ」と言うことでしょう。これは、人があまっていた時期だから、そういうことだったと思うのです。昭和四〇年代になってくると、石油が安くてしかも豊富にある。だから、石油製品を余計に使う人や産業は、いい人でありいい産業である。そこで、同じお菓子を包むにしても、何枚もの包装をしたものの方が、中味はともかくとして、いい。峠の茶屋で売っているようなお饅頭はつまらないものであって、同じ羊かんでも紙で一遍包んで、その上に小さな包装をして、それをさも木で作ったようなプラスチックの木の印刷をした箱に入れて、さらにその上を和紙で包むといったものがいい菓子だと、包装によって売れた。そういう時期は、木材なんかは「もうあかんで、あんなものは」と言われた時期だったのです。
その時期に、建築基準法も、木材をあまり使わないように規制する方向に変えられてしまい、「もう木材はあんまり使わない方がいい、あんまり使うと山に木がなくなるから止めといてくれ」というようなことを、林野庁もわれわれ材木屋も、思ったり言ったりしたわけです。あんまり注文がきてもらっては困る、というような時期であったのです。例えば、足場丸太一万本の注文がきたとする。そのうち二千本はソロバンに合う。あと二千本はトントン。あとの六千本は損をしなければ集められないという時期があり、「足場丸太の注文をもうしてもらっては困る、そんなものは別のものに変えてくれ」と言った時期が、昭和三五年を中心にした時期であったのです。そして、その時から昭和四〇年にかけて、建築基準法をみな変えられてしまったわけです。
だが現在は、木材はいくらでもある時期になっており、一般大衆はそのことを数字などでは知らないまでも、肌で感じています。いまでは、人間生活の中ですばらしいものまたは豊かさを追求しようと思ったならば、それは自然材に帰ることだと、多くの人は思っています。これからの豊かさの追求は、もちろん自然材の中には木材が入るわけですが、木綿であるとか、麻であるとか、土であるとか、石であるとか、そういう人間に一番近いものを周囲に置いたり自分で持つことによって、果たされてゆくと考えられている。二〇年前の三種の神器は、テレビであったり、冷蔵庫であったり、プラスチックの加工品であったりして、それが求められていたのですが、それが大きく変化した。だから、いま森林組合の人が「人を雇う」と言うと、パッと人が、しかも若い人がくるわけです。「若い人を雇うことが非常にむつかしい」と思っているのは、材木屋さんなり森林組合の年をとった人だけがそう思っているのではないでしょうか。フィーリングの時代になってくればくるほど、若い人にとって木材がいいアイテムになるように思えます。そういうことも、労務管理をめぐっては考える必要があるでしょう。