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木材流通

第1章流通には、物流と商流がある

繰り返す産地の進出と撤退

大阪の木材会館が建っているところに白髪橋という名の橋が架かっています。徳川時代の末頃から高知藩が、自藩の禁伐区になっている(いまは天然記念物である)白髪山の桧を大量に持ってきてそこで売り、その桧で橋を架けたので、白髪橋という名が付けられ、いまもその名が残っているということです。その白髪橋からもう少し東へ行くと、宇和島橋という橋がありますが、これは愛媛県の宇和島藩が自藩の木材をそこに持ってきて売った場所です。薩摩堀は、鹿児島の藩が同じように材木を持ってきてそこで売ったところなので、その名が付けられたわけです。これは東京でもそうでしょうが、徳川時代のような経済が未成熟の時には、木材の産地が消費地に乗り出すことが必ず起こり、やがてある時期に進出して来た産地は撤退してゆくわけです。

 終戦直後も、木材需要が少なくなって、産地の生産活動が相対的に活発になってくると、産地はいてもたってもおられなくなって、消費地の町へ店を出して行きましたが、その後、終戦後に産地から出てきた店の大半は撤退してしまい、商流ということをよく理解した者だけが残っています。

 いままた、木材が売れない、材価が安い、と言うので、産地が需要地に出ていこうではないかという動きが、繰り返されようとしています。しかし、商流ということをよく知っていないと、それはまた失敗するのではないでしょうか。終戦直後の場合には、産地の人の金を集めて、そこで土地を買って店を出したから、木材業そのものとしては損をしたけれども、その損は値上がりした土地を売って相殺することができ、出資者に分けて済ませることができたというケースが非常に多かった。だが、今度出てきて土地を買っても、五年先、一〇年先に失敗した時には、以前のように土地の価格が上がっていないから、土地を売って損の穴埋めをすることはできない、木材業で損をした分はまるまる損としてかぶってしまわなくてはならない、ということになります。しかも、終戦直後の時代では、それぞれ個人が出てきたのですから、損をしてもその人限りということになるけれど、これから出てくるのは、県の応援する森林組合が出てこようというケースが多いのですから、個人の場合のように「それでまあいいや」と言うことにはならないわけです。

 そこで、繰り返しますが、商流ということを、よくよく勉強しておいてもらわなければならない、ということになります。

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