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くにうみの祭典 淡路・愛ランド博
昨日、大阪ATCで開かれた「くにうみの祭典 淡路・愛ランド博」に参加してきました。関西万博の協会、出展社、関係者などの初めての交流会です。
当社では1か所のウッドデッキを施工し寄付する契約を結んでいます。
当社の博覧会のきっかけは1970年の大阪での日本万国博覧会でした。現社長の中川は万博協会の職員としてお祭り広場で勤務していました。また会社は多くのゼネコンに仮設土木材を納入しました。しかし当時の社長である中川藤一は「いくら木材を納入しても、パピリオンが完成したら、仮設材なので取り除かれる、完成後も納入した木材が残るような仕事ができないものか」と話していました。現社長の中川はそれを聞き、博覧会で自らが構築物を建てるような仕事をしようと決心します。これが当社の屋外施設事業部のきっかけとなります。以後6つの博覧会と1つの大型テーマパークに関わって行きます。これから何度かお話しますね。
今回は最初にかかわった「くにうみの祭典 淡路・愛ランド博(1985)」の話です。淡路島であった地方博覧会で期間は6か月です。当時兵庫県猪名川町で立ち上げたウッドクラフト卸のニュービジネスがありますが、神戸市から声がかかり出店することになりました。店舗は単独テント構造で、内装を杉桧の間伐材で作り、店員4名は現地で募集して教育しました。ウッドクラフトがまだ珍しく、木製品だけのお店としてはよく売れたと思います。
6か月の長期間、アルバイト要員だけで店をやりくりしたのは大きな経験とノウハウを得ました。このショップの責任者は淡路島在住の女性でしたが、しっかりした方でこの方の能力のおかげかも知れません。