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蝋燭からウッドデッキ製造まで
今年も当社の商品PRや会社の話をさせていただきます。
フェイスブック担当の私は大阪市立大学の非常勤講師もしており、今年で10年になります。
市大は今年の4月から大阪府大と合併して大阪公立大学になります。
講義は工学部で技術経営論で14人の講師の内のひとりです。年に2~3回杉本キャンパスに行っています。テーマは「変化への対応--蝋燭からウッドデッキ製造まで」というものです。
江戸時代、当社の祖先は千葉いましたが、どのようなわけがあったのかわかりませんが、和歌山に移住して和蝋燭(わろうそく)の製造を始めました。蝋燭の需要がなくなると林業をはじめました。おそらく蝋燭はハゼの木の実から作るので、樹木の扱いになれていたのでしょう。
私の祖父は分家して林業を続け、そして財を成しました。父の代では大阪に店を出し、杭丸太の仕事を始めました。戦後の時代でしたので、人に騙されたり、過大な税金をかけられたり、非常に苦労しましたが、経済の成長期でもあり、公共工事も多く、順調に会社は伸びました。土木材全般と木材業者さんへの木材卸販売をしました。私が入社した時から住宅産業に進出し、大手生命保険会社、不動産会社などの指定を受けて、住宅団地への大量納入をするようになりました。しかし、時代の流れ的な外部要因があり、木製エクステリアのメーカーとなるべく計画しました。つまり住宅用木材の仕事を10年間で撤退し、その間にウッドデッキやフェンスのメーカーとなるように考えたのです。それまで西日本のフィールドアスレチックは約80%ほど施工していましたし、間伐材利用のエクステリアも経験していましたし、当時デッキに注目する企業はなかったので、順調に計画は進みました。関西にできた大型テーマパークの仕事もそのほとんどをすることができ、木製エクステリアの地位を不動のものにできました。
ただ木材流通の会社から製造メーカーになるには、自社だけでは不可能であったと思います。OEM供給をしていた最大手のメーカーが当社の教育をしてくれたのです。
月に1度、品質、材料、マニュアル、梱包、輸送、クレーム対策、その他のことを1年間無料で指導してくれたのです。当社がISOを取得できたのもこのメーカーの指導の賜物です。
このようにして現在の当社があります。
講義では様々な変化にどのように対処して会社を経営してきたか、どのような志をもってやってきたかを話しています。当社のキットデッキの特許の考え方なども話をしています。
また、最近、木材が見直されたきたこと、木造の中高層ビルや木造の人工衛星などの話もします。写真は講義で使うものです。
ということで駆け足でしたが、当社の歴史を述べさせていただきました。
- 掲載日
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- 2022/1/11
- 写真
- 11枚
- URL
- https://www.facebook.com/wood1911/posts/6738861449522312