今日は当社の創業来の仕事の話です。
私たちの会社は和歌山県御坊市で中川家七代目の中川計三郎が林業を営み、八代目中川藤一の時に大阪に店をだしました。当初の仕事は杭丸太をゼネコンさんや材木屋さんに販売することです。
大阪では戦後の復興期で多くの公共工事があり、杭丸太、木矢板などが大量に必要でした。
当時大阪府内には約3000社以上の材木屋があり、その中の多くがこのような木材を取り扱いしていました。
当時の会社案内があります。写真付きでは当社で初めての会社案内でした。
詳しくはコチラに掲載しています。
https://wood.co.jp/13-company/nakagawa/index.html (会社案内の推移)
https://wood.co.jp/kaisha/annai/pan1962.htm (昭和37年当時の会社案内)
写真で時代がわかりますよね、社長車はヒルマンミンクス(いすず自動車)、トラックはボンネットタイプ(いすず自動車)、また社名は中川木材店になっています。1994年(平成6年)に現在の社名に変更しました。
この時代は杭丸太に加えて、土木仮設材を扱っていました。
このあと、土木用材、米国産の住宅用木材を大阪の材木屋さんに販売を開始、そして現社長が入社後、日本生命、三井不動産などのデイベッパーとの大量納材を始めました。
また将来の日本の林業のことを考え、間伐材の商品開発を行いました。これには相当の労力と資本をかけましたが、時期が早すぎたのか、3年で撤退しました。しかしこのときに得た経験からエクステリア部門に進出しました。その後西日本のフィールドアスレチックの設計、施工を行い、木造施設、公園の遊具などを行いました。
昭和最後の年、中川藤一前社長の死去にともない、住宅部門を縮小方向とし、木造エクステリアのメーカーを目指しました。当時OEM供給先である松下電工さんからはメーカーとしての考え方や技術を指導を受け、そのおかげもありISOの取得もできました。
その後、木製エクステリアの仕事として一番の腕のみせどころろは、大手テーマパークの仕事でした。さまざまな屋外の木造、木製施設を設計、施工することができました。この時代に木材販売会社から木製エクステリアのメーカーになりました。
しかし、創業来の杭丸太、仮設材の仕事も続けています。昔のように大きなマーケットではありませんが、それなりに仕事はあります。