今日は一般の方が自分で作るキットデッキの開発の歴史をご紹介します。特に開発当初の苦労編です。
当社では、先代の社長の時代にウッドデッキの原型になるものを考案しました。
開発の考えは2つあります。ひとつは将来の国産材の時代にそなえ、間伐材を利用した商品が必要。
木材の用途として住宅内部ではなく、外部の木材利用を考えた商品が必要。
それで試作品としてヒノキ間伐材を利用し1979年に当時の大阪府豊中市にある社長宅で製作施工したのです。
濡れ縁ではなくで米国などの住宅に取りつけられているものをイメージしていました。
当時の間伐材は丸太も細く板材はまったくとれません。太鼓(たいこ)引きに製材をしたものを利用しました。
前社長は「月見台」と名前をつけていましたが、当時の私たちはデッキという単語を使うべきだと考えていました。
しかし時代的に早すぎたのか、営業力がなかったのか、全くといっていいほど売れませんでした。デッキだけでなく、
間伐材を利用した木製フェンスも開発、その他住宅用のエクステリアを開発、高名なデザイン事務所にデザインを委託しておりましたが、大きな赤字を出していました。そのため2年ほどでデザイン契約は止めました。またその後間伐材を利用してのエクステリアは断念することになります。
しかし、屋外で木材を利用するアイデア持ち続け、さまざまな事に利用し始めました。幸い当時は住宅用の土台にCCAという防腐防蟻加工処理があり、長期の耐久性がありました。
米国カナダから輸入された木材は巾が広く、使いがつてがよかつたので、防腐防蟻処理を行い、さまざまな場面で利用しました。土地に直接敷いたことも何度もあります。現在のウッドデッキやボードウォークの形に少しづつ近くなっていきました。
当時の建築の専門家(大工、工務店、設計事務所さんら)からは常識はずれ、木の知識がない、などと言われたものでした。
現在では当たり前のことですが、板材を横に利用するのは木造建築の大工さんたちからは、木の事を知らないと笑われました。木は立て使いするのが常識というのです。濡れ縁は今でも縦使いしています。
1990年代になると当社施工の住宅用ウッドデッキは現在のものと同様のものとなってきました。それまでアウトデッキなどと名前をつけたりしておりましたが、ウッディーデッキやウッドデッキの方がわかりやすいということになり、最終ウッドデッキという名称で社会に訴えようとしました。そこで特許庁に「ウッドデッキ」の商標登録を申請したのですが、「ウッド」と「デッキ」の普通名詞どうしの文字列ということで認められませんでした。
この後一般の方が作成できる組み立て式のウッドデッキを試行錯誤して製作しておりました。1994年に全国のホームセンターに販売開始しました。1995年には「キットデッキ」の登録申請がとおり、登録商標となりました。
写真は記念すべき、日本最初のウッドデッキです。最初のキットデッキのパンフレットです。