今大阪では25年万博誘致の正念場です。望んでいます。
1970年にあった日本で最初の万博では、当社社長は日本万国博覧会協会の職員でした。
当時中川木材産業では創業以来の土木仮設材の仕事をしており、万博の建物の基礎工事として木杭や木矢板(もくやいた)などをゼネコンに納めておりました。仮設材ですので建物が完成すればこれらの木材はなくなってしまいます。
当時の中川藤一社長は、「完成して残る商品を持ちたい、見えないものは仕事のやりがいがない」とつぶやいたのを現社長は聞いたことがきっかけになりました。
大阪万博は大成功でした。そしてそこで働いていた現社長は様々な影響を受けました。
それからはイベントや博覧会に会社として参加、出展するようになりました。
・神戸「神戸ポート博」(1980年-6ヶ月)
・淡路島「くにうみの祭典」(1985年-6ヶ月)では独立した木製品ショップを出展
・・神戸「グリーンエキスボ」(1985年-3ヶ月) そごう館で木製品を販売
・大阪「天王寺博」(1987年-3ヶ月) エクステリアを施設展示参加
・大阪「花博」(1990年-6ヶ月)施設参加(寄付)と各種エクステリア工事受注、木製品ショップ運営。
・和歌山「リゾート博」(1994年-6ヶ月)施設参加(寄付)と各種エクステリア工事を受注します。
・そして最後は某テーマパークです。大型受注をしました。
写真はリゾート博です。
こちらでは会場のウットデッキのほとんどを企画設計しました。現社長が飛び込みで協会にデッキを売り込みに行きましたが、出された予算枠は当時の相場の半額でした。
協会はこれでダメならウッドデッキは諦めてコンクリートにするつもりでした。
社内に持ち変えると社員からの非難囂々、そんな価格では出来ないと。
そこで発想を変え、工事だけでなく、会期後回収して土木材として販売するようにしました。
おかけで協会の予算で施工でき、また当社も利益がでました。
現社長の個人フェイスブックにも関連記事があります。https://www.facebook.com/woodcojp