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 教育シンポジウム

はい中川です。
時間がありませんので早速話をさせていただきたいと思います。
私は子供のころ、今日ここにお集まりの先生方とは違う生徒でした。
それは学校時代勉強ができなく、学校の成績等を持って帰ると母親に、よく泣かれました。 私自身は一生懸命勉強してるんですが、成績がいっこうに上がらなかったのです。それで頭が悪いと自分で思い込み劣等感に悩まされながら社会に出ました。
それから会社等で仕事をやる課程でいろいろな事を体験し今日にいたっているのですが、そのような体験を通して得た考えをちょっとお話をしたいと思います。
時間の関係上、このようなカラープリントした資料をお配りしております。
まず、私が社員教育をする上で、一番重要視するものは、心の問題です。
その社員教育の資料の中に「承認意識」とか、「達成」などの単語が出てます。
これには私自身が考えた解釈を書いてますが、この話をするとそれだけで時間が経ってしまいますので、話と照らし合わせて見ていただけたらと思います。
今日のテーマで、私の方は高度産業社会というのを高度情報社会というふうに捉えて考えてみました。
日本でどのような人材教育が必要かということを考えたらきりがないですが、私達のような中小企業とか産業人とか少し小さい範抑でで4つくらい考えてみました。
まずはじめに英語の話です。
これは先生方もきっと同じ思いをされていると思うんですけども、英会話とか英語の映画を見て理解できるというのは、非常に我々の世代は悪く(今の若い人達はちょっとましになっていると思いますけれども)、やはり諸外国に比べると非常に弱いように思います。
私も中学校、高校、大学と10年、それから海外2年行っておりまして、その後各国の領事館とのお付き合いとかもあり、年中英語を話さなければならない状況になっていながら、未だに英語ができないわけです。
私は人に比べると相当英語の勉強をしてきましたし今もしています。
現在でも会社で12時過ぎまで仕事をして帰宅ですが、家に帰ってからホームビデオをほとんど毎日見ています。
見てるだけ、聞いているだけでも少しは分かるようになるんじゃないかと2年間やっているわけです。
しかしすこし慣れたかなということで、まだ英会話が出来るという所までにはなってません。
これにはやっぱりいろいろ問題があると思います。
というのは千里万博の時に協会職員をやっていたという紹介がありましたけれど、この時にインドネシア館でいろいろ友人ができまして、じゃあインドネシア語を覚えようということで、練習をしましたら、まあ1か月ですね、努力はしましたけれど。
ほぼ1か月目で自由にインドネシア語会話ができるようになりました。
インドネシア語というのはマレー語ですから、シンガポール、インドネシア、ブルネイ、一部オランダでも通じますけれども。
たった1か月でその国の言葉が、会話が不自由なく話せるんです。
ところが英語というのは、10年やってても会話ができないのです。
これはこれからの高度情報社会の致命的な問題だと思います。
これからはインターネットを抜きに考えられないのですが、海外の情報というのが瞬時に自分の机の上で見れる状況になってきます。
英語のリーディング、読む事は今のパソコンでやる翻訳は良い精度ではありませんけども、これは時代の進歩ですから、そうですね後2-3年もすればかなり現実的な翻訳ができるようになると思います。
ですから読むことについてはそれほどできなくてもいいと思うんですけども、このように高度情報化社会になってくると海外と直接話しをしたり、インターネットで電話をしたり、インターネットでビデオを通して話しをしたりということになってきますと、やはり話が出来ないと具合が悪いというようなことがあります。会話が出来ると読み書きも比較的早く出来るようになりますし、ですから英会話が絶対必要だと思います。
次にパソコンの知識。
これはパソコンを趣味的におたく的にやるということではなくて、パソコンをどのように利用するか、利用の仕方と言うことです。
どのようにパソコンを手段として使うかと言うことです。
これは今のマルメディアパソコンやあるいはインターネットですと、マウスを動かす方法だけを覚えれば、どんなにご高齢の方でも使えるわけです。私も社員に今1人1台あたえておりますが、その中で72歳の総務部長がパソコンを充分に使っております。データーベースもワープロも使っております。
時間がないので詳しく話せませんが、マルチメディアがどんどん押し進んで行くのは間違いない事実です。そしてそれがどうやらインターネットに集約されてくるような気がします。
さてパソコンの使い方と先に述べた英語。この2点ですが、比較的時間や費用さえかければできる問題ですので制度ができればそんなに心配じゃないというふうに思っています。
しかし、それ以上に重要になって来ることが今から話しをしたい2点です。
1つは思いやりの心といいますか、あるいは真心といいますか、先程有光会長が真心という言葉でよく似たお話をしていただきましたけども、思いやりの心。それから個性というか独創性というかそういったことです。最初の思いやりのほうですけども、これは私が会社で社員に話す時に、「承認意識」という言葉で使っております。これは情報化が進めば進むほど、より「相手を承認する、認める」という行為が重要になってくると思います。まあ電子メールでいろいろやり取りするのは日常的茶飯事になってきます。
電子メールをされた方はよく分かると思うんですが、非常に便利なんですけども、片方で問題が起こってきています。メールだけですとぎくしゃくしてくるわけです。
その例も随分みてきました。そういうふうにデジタルで交渉すればするほど人間味がなくなってくるということです。ですから最終的には契約するにしても話しをするにしても、最後はやはり会って話しをする、電話で話しをするということがかかせないというふうに思います。しかしこのようなコミュニケーションの必要性や心の問題をどのように理解させたらいいのかとい事ですが、経営セミナー、各社の新人セミナー等でいろいろと話があり、例えば、挨拶をしなさい、人の名前を覚えなさい、笑顔で応対しなさい、と教えられます。
しかしこれらは本質的なことではなく、技術的な事、表面的な事です。
突き詰めて考えれば、私の資料に書いてありますように、相手を認める承認意識という事になります。
つまり人と人とのコミュニケーションの中で、認めるという行為が一番基になるのです。
次は個性の話です。うちの会社でもいろんな商品を作っておりますが、商品は同じものを2つ作っても価値は一緒なんですけれども、情報というのは同じものでは価値が無いいわけですね。これから今後の社会はいろいろな情報を発信、違う情報、変わった情報、個性的な情報を発信しなければ、企業もあるいは国も生きていけない状況になってくると思います。まあ今は日本も非常に慌ててやっておりますけれども、シンガポールとかマレーシアなんかに比べたら、情報インフラは非常に遅れていますね。
特に通信関係、インターネット関係です。
それらが今後、世界中をネットワークで飛びかい、世界中みんなが情報の受発信することになるのです。
で、こういうことを考えると、個性的といいますか、独創的な事が必要なことになってくるんじゃないかと思います。
 そこで家庭でどういう教育をと考えてみますと、(家庭というのは非常に大事で、 現在の子供のいろんな問題はほとんど家の問題、家の躾けの問題じゃないかと思っているわけですけども)今、家庭で子供を個性的に育てる、個性を持った人間、独自性を持った人間に育ているかというと、絶対これは育てていないわけですね。
これは話しをしだしたらきりはないですが、少し例をあげて話します。
私の家内は日本の教育を受けておらないんです。
日本人ですけど未だに日本語が読み書きできない、昔の帰国子女なんですね。
インドで中学までおりまして、日本の学校に入れなくてアメリカンスクールに入学しました。
会話は問題ないのですが、漢字の読み書きが未だにできません。
考え方が違うので

注意をして見てますと一番違うのは子供に対する教育でした。
我々が受けてきた教育と、家内が子供に対する教育が違います。
例えば、レストランへ入って食べたい物を注文する時に、息子が「何でもいい、皆といっしょのものでいい」と言ったら非常に怒るわけですね。
「あなたが欲しいものを注文しなさい、人といっしょのものというより自分の主張をしなさい」というふうにやります。
もう1つ例をあげると、会社を経営していればいろんな行事で家族を連れて参加するというのは当たり前のことで、息子娘の意見など関係なく連れていくのが通例なのですが、私たちの家ではまず息子や娘にその行事がいかに楽しいかを説明し息子や娘本人が行きたいと言わなければダメなわけです。
このへんも日本の考え方と異なり人と違うことを重要と考えていたり、本人の自主性を重要と考えているようです。
まあアメリカ、欧州では子供が落ち込んだ時には、「心配しなくていい、大丈夫だよ。
神様は一人だって余分な人間を作っていない。
あなただって何か目的があって生まれて来てるんだから」というようなことをよく言うみたいです。
つまりひとりひとり違い、それぞれの役割を持っているというのが基本にあるようです。
日本の場合はみんな同じですね。
全てが勉強。
勉強さえできればいいというような事になっているようです。
それで結局勉強ができれば、人間的な感覚に問題があってもカバーされる。
さきほど、有名大学一流大学を出ている人ほど、視野が狭いというお話があったように思いますけども。
これも先生方には失礼だと思いますけれども、私もまったくその通りだと思います。
私は大学卒業後総合商社に入社しました。
10大商社のある会社です。
その会社の木材部というのは、10大商社の中でもつねにトップでもうけがしらの部門でした。
したがって優秀な人が多く、東大出身の方がもっとも多く、あと京大とかで、私立では慶応卒ぐらい。
まあ甲南というのはそういう学歴から言うと一番悪いわけですけども。
しかし仕事は学歴とは一致しないとう事が結果的にわかりました。
これは皆さんもよく分かられると思います。
友人知人や諸団体での活動などで人を観察していますと、やはり学歴とそういうことは全然関係ないと思います。
去年当社に入社試験、面接の結果2名入社させました。
学歴で決めたわけではないですけども、結果的に和歌山大学と神戸商科大学出身の男女でした。
彼らに最初に私が言ったことは「あなたは、高学歴で頭もいい。
しかしそれは最初から欠点だと思ってくれ」です。
これはそれくらい言っておかないと、どうしても社内でコミュニケーションが悪くなるとか将来視野が狭くなりがちになってくるので、そういう話しをしたわけです。
ちょっと話がずれてきました。
 それで個性ということすが。
教育の場ということでどうかと言いますと、普通の生徒の 気持ちから考えると、個性というのはもともと本人が持っているのですが、自分に自信がなければ出てこないものと思います。
持っていても表に出てこないというように思います。
そして自信というのは達成をしないと、達成ということを経験しないとまた得られないと思っております。
資料に書いてありますが、達成というのは結果なんですけども、結果が必ずしも達成じゃないわけです。
数年前に流行ったブレークスルーという言葉がありますけれども、ああいったミニブレークスルーが達成だと思っております。
これをその高校時代にどんなことでもいい、勉強以外、勉強でも勿論いいわけですけども、勉強以外に1つ2つ3つくらい、そういう達成感を生徒に味あわせて欲しいと思うわけです。
で達成感というものは、社会的にいいものであれば、一番効果があって自己実現に結びっくんですけども、悪いことにでも達成感を得てしまうんですね。
で、これで悪いことでも軽い達成感を得るもんですから、落ちこぽれていくと、.どんどんそっち側の達成感を得てしまうというふうになると思います。
このようなことが今の日本の教育現場では、全然教えてもらう授業、機会がないわけですね。
どうして学校でそういう授業がないんでしょうか。
もちろん大学でも無いわけですね。
制度を待ってたんではこういう授業はなかなか認めてもらえないと思うので、学校の先生方に今からでもしていただくのが一番近道ではないかと思います。
授業時間が無くても、先生がそういう思想を持っていただければ、時間の合間、それから生徒とのちょっとした話しの中でにじみ出てくるように思います。
まあ、先生に大げさな言い方をすれば、心の変革をちょっとしていただいて、先生というのは非常に意義のある仕事で、まあ言えば会社の社長と同じようなことだと思います。
経営者と一緒だと思います。
経営者というのは24時間勤務で、いっも会社がよくなるためにはどうしたらいいかと考えるわけですけれども、先生方も絶えず子供を見て、その中でちょっと本人が少しやれたなと思う時に褒めてやる。
その何も出来ていない時に褒めても、これはかえって逆効果になってしまうわけで。
そのへんが自信をつけさせる難しさと思います、これも資料を見ていただければいいと思うんですけども。
それと先生方は人格者にならないといけないと言いますか、哲学を持っていただかないといけないと思います。
先程秋田次長からベネッセ研究所のお話がちょっとありましたけれど、私も確か10日ほど前に、サンケイ新聞だったと思うんですけども、新聞にその資料が出ておりましたので見ました。
その中で各国の生徒が先生方に対する感じ方を捉えているのがあったんですけども。
残念ながら、日本の学校の先生方の評価というものが、諸外国に比べると非常に悪いわけですね。
だいたい先生が尊敬されているかというのは日本では20%くらい。
でまあ韓国が一蕃高くて、まあ国民性からいってもそうでしょうけれども80%くらい。
その他教え方が上手であるかとかとかいろいろ出てます。
だいたいブラジル、ヨーロッパ、韓国、東南アジアと、日本と比べてたんですけも。
日本が20%くらいで海外が60%から80%くらい。
それからもう1つぴっくりしたのは、塾の先生の尊敬度合いといいますとこれはだいたい30%くらい。
学校の先生の尊敬度合いといったら20%くらい。
ここで10%くらいの開きが出ているわけです。
でまあ、私たちの学校時代には先生は偉い人だと思っていたんですけども。
今は変わったみたいです。
家で女房や子供と話しました、何でこんなデーターになるんやろなと言ったら、そら簡単な事やと言われまた。
塾の先生は悪かったら直ぐに首切られるからやと言っておりましたけれども。
まあそれだけ塾の方は生存兢争が厳しいと。
社会の中で生きていっているわけで、会社として生きていっているわけで厳しいということですけども。
先生の方は首を切られないからやということです。
ですから先生がここで少しブルークスルーをしていただいて、思想哲学を持って、ことある毎に、生徒に接していただければいいんじゃないかと。
大変若造のくせに生意気な話をしまして失礼をいたしまた。

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