1955年4月~1959年8月 大阪市立堀江小学校 入学、 1959年9月~1961年3月 豊中市立大池小学校卒業、 1961年4月~1964年3月 豊中市立第二中学校卒業、 1964年4月~1967年3月 池田市立渋谷高等学校 卒業 クラブ活動 柔道部、 1967年4月~1971年3月 甲南大学 法学部 卒業 クラブ活動 体育会卓球部
1970年1月~1971年2月 日本万国博覧会協会 職員、 1971年2月~ ニチメン㈱(現 双日株式会社)入社、 1971年6月~ ニチメン㈱ インドネシア駐在、 1973年4月~1974年3月 衣浦埠頭㈱勤務、 1974年4月~ 中川木材産業㈱ 入社、 1988年8月~ 代表取締役社長に就任 現在に至る
一般社団法人全日本SEO協会認定SEOコンサルタント(活動は休止中 )
社団法人全日本市場連盟 木材アドバイザー
1970年/昭和45年 日本万国博覧会協会 感謝状、EXPO70インドネシア館 表彰状
1971年/昭和46年 日刊木材新聞社 写真コンテスト 最優秀賞
1981年/昭和56年 公益社団法人大阪青年会議所 優秀新人賞、
1987年/昭和62年 公益社団法人大阪青年会議所 優秀委員会賞、
1988年/昭和63年 公益社団法人大阪青年会議所 最優秀事業賞、功労賞
1989年/昭和64年 大阪木材工場団地協同組合 委員会功労賞
1990年/平成2年 日本木造住宅産業協会 賞状 優秀賞
1996年/平成8年 盛和塾 敢闘賞
1998年/平成10年 大阪府 賞状
2003年/平成15年 一般社団法人日本ログハウス協会 感謝状
2012年/平成15年 パナソニック フォトコンテスト ビギナー部門 入選
2015年/平成17年 パナソニック 春のフォトコンテスト2015 入選
2006年/平成18年 公益社団法人日本木材加工技術協会 表彰 優秀賞
2006年/平成18年 公益社団法人日本木材加工技術協会 表彰 激励賞
2008年/平成20年 公益社団法人日本木材加工技術協会 賞状
2008年/平成20年 公益社団法人日本木材加工技術協会 市川賞
2016年/平成28年 近畿中国森林管理局 表彰状
2017年/平成29年 公益社団法人日本木材加工技術協会 功労賞
2017年/平成29年 公益社団法人国土緑化推進機構 森の名人・名手認定
2019年/令和元年 健康保険組合連合会 表彰
2022年/令和4年 大阪府 表彰
2022年/令和4年 全国木材組合連合会 表彰
その他リスト
①データーベースの作成 ②クラッシック音楽観賞、③巨樹巨木巡礼、④木造駅舎巡り、⑤世界の植物園巡り、⑥景色を楽しみながら歩くこと(徒歩通勤)
インドネシア語、 歩きながらの読書、ホームページ作成、データーベースの構築
中学時代 理科・ロウソクの科学に感銘し、物理に興味を持つと同時にクラッシック音楽に興味を持つ。また全国同年代の子供を誘い、ひとり新聞の発行する
高校時代 クラッシック音楽と柔道、オーディオを自作して数多くのクラッシック曲に熱中。
大学時代 卓球、講義よりもクラブ活動を優先させてしまう、 ユニフオームで大学に通っていた。
万博時代 千里万博と国際交流 外国語の勉強をするがインドネシア語会話は1カ月でほぼ話せるようになる。
最初の社会人時代 インドネシアでの駐在生活においてすべてが興味深かった。挫折は英会話、苦労は食事。
日本JC時代 経団連の意向を受けインドネシアミッションの実施、APDCミッションで2年2回にわたって訪イした。日本青年会議所の国際室名簿を2回制作する。
大阪JC時代 委員会活動を通じリーダーシップを勉強する。
世界会議 ホームステイの企画を担当、イスラムの週間を指導
留学生弁論大会 FM大阪に急に出演しOnAir中に絶句する
TOYP会議 中曽根首相、皇太子(現天皇、皇后陛下と歓談できる 苦労は英会話
わんぱく相撲 地域との関わりの重要さを感じる
世界会議、アジア会議と褒章 参加人数の記録を作る オランダ60人、シンガポール120人は今も破られていない。
関西若手領事団との交流 数多くの家族会、パーティを企画する。苦労は英会話。カナダ、フランス、米国、インドネシア、インドの領事と個人的な友人になる。
アジアミッション 関西テレビ 5分間3本、60分1本の番組を制作、放送してもらう。以後関テレはインドネシアの特集を2回するようになり協力した。
大阪商工会議所 留学生問題 古市委員長の時代から、約10年間続ける。
JICX名簿の公開 名簿非公開を公開するように周りを説得動く、同様にニュービジネス協議会も公開するようにした。
NBKパソコンによる名簿作成 団体の名簿作成のノウハウを構築した、フロッピーで販売もするようになった。
大学のOB活動 甲南大学体育会卓球部OB会にてOB現役の調査をし名簿を作成、DB化する。周年記念誌の作成。現在は同会のホームページ担当
ホームページ黎明期 自治体、法人、民間企業などのホームページをボランティアで制作運営する。組織の担当者や業者が作成できるようになると移転するようにした。美原町、日本ログハウス協会、大阪木材工場団地、日本おもちゃ会議、古材文化の会、民間企業多数。
承認について 人が生きていくうえで最も重要なことが「承認」であることを30歳の時に発見、さまざまな実験や体験、指導そして研究をつづけている
中川木材時代
川西営業所の設立(のち撤収) 一時期、会社で一番の収益をあげていたが、一企業では対抗できない事を体験する。
東急名谷営業所の設立(のち閉鎖) 計画の甘さを実感する。
クラフト事業部の設立 この部門のおかげで、業務とファッションの流れ、企画の大切さ、色の重要性などを勉強した。
社内データーベースの構築 名簿、袋ファイル、書籍、日時など、他にないデーターベースを構築
書籍制作 中川藤一追悼集「樹には望みあり」の作成、大変な労力とエネルギーがかかった。書籍制作のノウハウを少しだけ経験。
システム事業部の設立 2年間で休止したが、この部門のみ黒字で始まり、黒字で終わった。 パソコン業界のさまざまなことを理解する。
フロッピーによる会社案内の作成 さまざまな困難を克服しミニブレイクスルーをした。 MS-DOSのオリジナルを150枚購入し配布する。
パソコンカラー印刷システムの開発 この仕事のおかげで、会社経営の面白さを実感する
目標と経営計画と実践 目標設定の楽しさを実感するようになり、数多くの目標を作る
インターネット 現在もつづいている、ホームページは2023年現在6万ベージ以上、世界ランクでは日本のトップクラス。
業務マニュアル作り 1997年からは社内イントラネットに掲載し完全ペーパーレスとなった。
社内イントラネット 1997年からはすべて自社で構築する。
社内会議システム 社内イントラネットを利用し完全ペーパーレス、議事録同時平行のシステムを完成する。日本初。
「木の情報検索エンジン(wise)」を開発公開 ヤフー木材版と言われた、木に特化した検索エンジンを考え、無料で利用できるようにする。特長は木のシソーラス辞書を独自開発、木に関係のある個人、会社ユーザーは自分で登録、複数の木材団体の名簿と共有して幅の広いデーターベースを構築。その他木に関するDBを8本公開。業界団体の市川賞を受賞し、東京大学で受賞者講演をする。
大阪府の民間企業実務体験の受け入れ会社として大阪府の教員(校長予定者)に企業体験と企業倫理、考え方などを指導。3日間で行い、人数は2名~5名、平成8年から平成19年まで
短所 記憶力が悪い、せっかち、多くの仕事を取り込む、相対する事項の理解が悪い
長所 記憶を保持しない、全般に平均的に能力があるところ、熱意あり、努力は誰にも負けない
妻(純粋の日本人ですが、日本での教育を受けていないため漢字は読めない)、猫3匹
大阪公立 大学 工学部 非常勤講師 現在も続いている。
(財)日本木材情報センター 世界のクラフト 審査員 93年から(終了)
大阪府政モニター(終了)
科学技術庁原子力局よりモニター(終了)
大阪商工会議所 留学生委員会委員(終了)
大阪府教育委員会 実業教育審議会委員(終了)