私たちが学生のころは 中学校は高校の予備校で、高校というのは大学受験のための予備校であると教えられてきました。とにかく勉強、勉強。中学で勉強ばかりで、高校でも同じ。
しかも受験のための勉強という、社会に出てほとんど役に立たないものを若い間の貴重な時間をさいて、暗記の練習をしなければならない
。そして成績で個人の人間的な評価がきまる。
勉強ができる子だけがいい子で、他のことは出来なくなくてもいい子でみんなの尊敬を得られるわけです。
また、成績第一主義ではほんの一部の人しか、自信や充実感を得れません。中学、高校の2つの受験をする生徒の半数以上が自分の希望する学校(世間が勝手に成績順にいい学校を決めている)にいけなく挫折を味わい、劣等感として残るのです。劣等感をバネとしてうまく行く人もいますが、多くは社会人になってもその人の暗い思い出として人生の中で長い間持ちつづけます。学校や家庭ではどうして、スポーツが出来る人、話がうまい人、そばにいるとほっとする人、歌がうまい人、工作が上手な人などなどの人はあまり評価しないのでしょう。本人がいくら努力しても一部の人しか認められない、異常な世界と思うのです。
それでいて勉強ができる人たちが、世の中をうまくリードしてくれるかというと、残念ながらそうではありません。勉強ができて高学歴を持つ人に自分勝手、人の気持ちがわからない、ちょっとおかしい人たちが比較的多いとも思います。私の経験でも、社会人になった時、気が付いたのが超一流大学を卒業した人が、仕事でいい成績を上げるとは限らないということです。むしろその反対を感じたこともあります。
どうして 一流の学歴を持つ優秀な人が、失敗したり人生がうまく行かないことが多いのでしょうか。
私が思う理由を極端に言いますとa.学生時代、勉強さえで出来れば、失敗しても、その他悪いことをしても注意されず、挫折感もなく、 勉強のためであれば何でも許されてきた一種のわがまま状態であった。
b.学校で後述するようなに、世の中の生き方、人生についての教育を受けてこなかったからc.頭がよいと、人の欠点や失敗がすぐに見え、周りの気持ちを考えず公言してしまい、コミュニケーションが悪くなる。などの理由によると思います。
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