|
当社は和歌山県において、徳川寛文年間(1661年)より代々継承経営してきた山林業より、祖父中川計三郎が独立して、伊勢大杉谷御料林、奈良高見山、紀州栃谷山等に於て素材の生産業を営んでいました。祖父はそれまでの国産林業から、大阪に店を出し、戦後の復興需要に期待しました。父中川藤一によって大阪店は軌道に乗りました。父は大阪での仕事を杭丸太の専門会社として、当時の大阪地区の土木、建設ブームに乗って、会社をそれなりにしてきました。
***************
株式会社としての最初の扱い商品は写真のような杭丸太でした。現在でもこの創業来の商材は扱っており、昔に比べますと大幅な扱い減ですが、安定した仕事となっております。その後木材卸会社を経て、ディベロッパー向け納材として住宅産業に参入しました。一時は大阪の木造住宅への材料納入では相当の実績を持ち、金額的には大きなものとなりましたが、厳しい競争と債権の回収がなかなか出来ない事や、社内の人材不足などがあり、業績としては誇れるものではありませんでした。
|