経営革新IT利用 最小の費用で、最大の効果を

1.会社の案内、概要
2.会社の危機とそのときの対応と方針
社長交代とリストラ

昭和63年、父から、1年間かけて引き継ぎをして、社長を譲ると言われていました。社長は公職に忙しく、私も複数の団体の活動が忙しく、いわゆる会社トップが社内不在の状況でした。8月の社内会議で父は倒れ、そのまま亡くなってしまいました。あまりにも急なことで、引継ぎをなにもしない状況でしたので、何から手をつけてよいかまったくわからない新人社長になったわけです。何を一番にすべきかと言うことを考えると、当然会社をつぶさないことという結論になりました。そのために、社内改革を実行しましたが、それまでの路線の大幅変更は、売り上げ主義から、利益確保でした。利益確保するためにさまざまな手を打ちました。経費を少なくくすること、利益があがらない、支店、商品はやめることなどです。
当時はバブルの始まったころで、リストラなどという言葉はなく、会社縮小という言葉でした。社内混乱や社内抗争、信用不安、メーカーからの商品供給ストップなどを同時に経験しました。そんな中、2年間で売り上げを約半分に落としました。
しかし、着実に利益がでる体制になりました。あらゆる経費節減をしていったのですが、唯一、予算を掛けていったものがあります。それはパソコンでした。
もっとも当初はパソコンを認める社員はほとんどいなく、社長の道楽と思われ、社内会議でもムダ使いと追及されました。しかし、根気よく社員にデーターベースや表計算を教えると、便利さがわかり、次第に広がっていきました。    
コンピューターの出会いと確信

私とコンピューターの出会いは大学の時ですが、一度講義に出て、これは自分には無理と思い逃げてしまいました。
昭和53年に当時の電電公社のDRESSシステムを導入のため、責任者になりましたか、これも逃げ回っていましました。今も、私の趣味がパソコンと友人に思われていますが、私は現在でもビデオの予約録画や、CDからMDへの録音、家の親子電話、携帯電話でのメール送信などは出来ないいくらいですので、決して趣味で利用しているのではありません。
当時の電電公社のコンピュターは鑽孔テープ利用で、テレックスみたになものでしたが、その力は驚くもので、当時の私の事務処理は導入後10倍ぐらいになりました。このときに、これからの社会はコンピューターが必須になると確信したのです。
その2年後にNECのPC8001を購入し、仕事に利用しだしたのです。能力的には不足でしたが、将来必ず、情報社会が来るので、「今からデーターをストックしょう」と思い、漢字は利用できませんでしたが、英数カナでできるもののデーターを入力しだしました。現在のデーターベースの中にも当時入力したものが、残っています。その後9801シリーズが発売され、ハードディスクが購入できるようになり、安くて、性能のよいパソコンソフトを利用することができました。

3.ネットワーク時代の到来
4.社内イントラネット構築から複合利用へ
5.IT利用の具体的な例
6.社内教育
7.経営メリットとデメリット
8.IT利用に関する今までの方針



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