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昭和63年、父から、1年間かけて引き継ぎをして、社長を譲ると言われていました。社長は公職に忙しく、私も複数の団体の活動が忙しく、いわゆる会社トップが社内不在の状況でした。8月の社内会議で父は倒れ、そのまま亡くなってしまいました。あまりにも急なことで、引継ぎをなにもしない状況でしたので、何から手をつけてよいかまったくわからない新人社長になったわけです。何を一番にすべきかと言うことを考えると、当然会社をつぶさないことという結論になりました。そのために、社内改革を実行しましたが、それまでの路線の大幅変更は、売り上げ主義から、利益確保でした。利益確保するためにさまざまな手を打ちました。経費を少なくくすること、利益があがらない、支店、商品はやめることなどです。
当時はバブルの始まったころで、リストラなどという言葉はなく、会社縮小という言葉でした。社内混乱や社内抗争、信用不安、メーカーからの商品供給ストップなどを同時に経験しました。そんな中、2年間で売り上げを約半分に落としました。
しかし、着実に利益がでる体制になりました。あらゆる経費節減をしていったのですが、唯一、予算を掛けていったものがあります。それはパソコンでした。
もっとも当初はパソコンを認める社員はほとんどいなく、社長の道楽と思われ、社内会議でもムダ使いと追及されました。しかし、根気よく社員にデーターベースや表計算を教えると、便利さがわかり、次第に広がっていきました。 |