今大阪では25年万博誘致の正念場です。望んでいます。
1970年にあった日本で最初の万博では、当社社長は日本万国博覧会協会の職員でした。
当時中川木材産業では創業以来の土木仮設材の仕事をしており、万博の建物の基礎工事として木杭や木矢板(もくやいた)などをゼネコンに納めておりました。仮設材ですので建物が完成すればこれらの木材はなくなってしまいます。
当時の中川藤一社長は、「完成して残る商品を持ちたい、見えないものは仕事のやりがいがない」とつぶやいたのを現社長は聞いたことがきっかけになりました。
写真はリゾート博です。
こちらでは会場のウットデッキのほとんどを企画設計しました。現社長が飛び込みで協会にデッキを売り込みに行きましたが、出された予算枠は当時の相場の半額でした。
協会はこれでダメならウッドデッキは諦めてコンクリートにするつもりでした。
社内に持ち変えると社員からの非難囂々、そんな価格では出来ないと。
そこで発想を変え、工事だけでなく、会期後回収して土木材として販売するようにしました。
おかけで協会の予算で施工でき、また当社も利益がでました。...
施工後6年経過したウリンカーポートデッキ。大きな割れ・ササクレもなく優秀です。
.詳しくは『ウッドデッキ倶楽部』で検索か、プロフィールのURLより、『ウリンデッキ村の経年変化』で検索して下さい。
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自宅近くの公園。池の水面に映る樹木。...
また大阪で開催して欲しいです。というのは1970年にあった日本で最初の万博では、私は日本万国博覧会協会の職員でした。会期前後で約1年間働きました。
そしてとても大きな影響を受け、その後の人生は大きく変わりました。当時の仕事場は 事業第一部の製作3課というところで、お祭り広場の楽屋担当です。私たちのトップは鈴木俊一さんで後に東京都知事になった人です。直属の上司は金本さんといい、
島倉千代子さんや田宮二郎さんのマネジャーだった方で京都から通われていました。職場で私はとてもかわいがられました。一番の年少でしたから。楽屋の仕事というのは芸能界の仕事です。当時の国内、海外の有名芸能人やお祭り広場に参加する一般の人たちのお世話、楽屋の世話係などをしていました。
万博については様々な思いがありますが、春までの間写真とともに自分の記録としてUPしょうと思います。
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新潟県 Iさんの体験談
キットの材質、作りはとても満足するものでした。マニュアルも見やすくまとめられてる点も良かったです。調整束も使いやすく、問題なく高さの調整をすることができたと思います。難しかった点は、束の大引きから出ている部分をカットするのに、ノコギリの入れ方がイマイチわからず少し失敗してしまいましたが、何本か切るうちにコツを掴めたので、後半はスムーズに作業することができました。今回は、上手く組み立て出来るか不安だったので手摺の方は注文しなかったのですが、思った以上に良い仕上がりだったので、今後手摺の方も取り付けたいと思っています。....
ントランスにアクセント的にウォールフェンスを配置しています。
肉厚のあるアルミ角パイプに
レッドシダーの横板という仕様です。
.詳しくは『ウッドデッキ倶楽部』で検索か、プロフィールのURLより、
『住宅の顔としてのウォールフェンス』で検索して下さい。
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風があるものの陽射しがあり気持ちがいいです😊 白猫こざも伸びきっています😺 .
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ここは小高い場所。
街が一望できていたんだろう。
今は周りの木が高くなってしまったが、静かで落ち着くところそこに出来た展望デッキ。でっかいエノキがあって、取り巻くようにデッキが作られています。
でも良く見ると立て看板?トラロープ?張り紙?危険てかぁなんじゃ???なにか手すりが隙間だらけになってるじゃないか。
実はイタズラされたんですな。話を聞くと去年も同じようなイタズラがあったそうです。木に登る腕白はいいが、イタズラで物を壊す腕白はいかんなぁ。昔と腕白の質も変わったものです。
しかし、私が考えるにイタズラする者にも悪気はなかったと思うのです。外れて落ちた手すりを見ると、短いビスで留まっているのです。
最初に何かぶつかった拍子に落ちてしまい、。あまりに簡単に外れるから面白がったんでしょうな。仲間がいたらみんなでやれば怖くないと。これだけはずされるのもたいした時間がかからなかったでしょう。だからイタズラしたものだけが悪いとは言えないですね。
作った者の考えが甘かった、こともあるのでは。で直して来ました。仕事としてお金を頂戴しました。今度は蹴っ飛ばしても簡単に外れませんよ。外れなくて折れるかも。
休暇前のということで、ウッドデッキから小物の出荷でバタバタです。
っということは、だれにも相手されない・・・・・
ちょびは寂しくってたまらん!!
そこで副店長のちょびは考えました!!
ちょっと上からみんなを眺めて存在感をアピールしようと・・・.. >
おはようございます。今日はお客様が製作されたウッドデッキ(キットデッキ)をご紹介します。組み立て途中の写真とお客様の体験談です。以下茨城県Tさん体験談です。
束石は注文時点で仮設置してありましたので材料到着後は水平だけ確かめてすぐに組み立てを開始しました。下穴を十分にあけるなど慎重に施工したことと、サッシとの取り合いで鼻隠しの端部を切り落としたりの作業がありましたが組み立てマニュアルもわかりやすく特に問題なく施工できました。インパクトはアドバイスを参考に思い切って135kNのものを購入しました。途中で片側の四角ビットが欠けましたが残ったビットで最後まで大丈夫でした。一人で全て施工しましたが最後のサンドペーパーがけと並行して自作した階段(レッドシダー)まで含めて所要時間は1.5日です。出来映えには大変満足しています。特にウリンの質感と木肌はすばらしくレッドシダーの階段を作りながら両者を比べることになりましたがその差は歴然です。... >
もう昔の話になりますが、長さ24メートルの杭丸太を作ったことがあります。米国からの木材船のオンデッキに積み込んでもらい、愛知県の衣浦で下ろし、そこから機帆船で岸和田に運びました。当時の岸和田支店は岸壁を持っておりましたのでそこで直接陸揚げし、先をとがらせて加工し、警察の許可を取り、夜間に大阪市の現場に配送しました。当社では現在までこの長さの記録はやぶられていません。本数は60本くらいだったと思います。談合がダメと現在では言われていますが、当時は大阪市港湾局から依頼されて、輸入したわけで、入札参加する他の会社は当社に入札価格を聞いてきて、それ以上の入札金額を入れたわけです。役所主導の談合ですね... >
木材を接着剤でくっつける時は密着させる必要がありますが、エポキシ樹脂の場合は数cm空いた状態でもうまくくっつきます。
写真の丸太テーブルは事務所の竣工祝いに、取引先の商社の部長さんのご尽力のおかげで、アメリカのシンプソン社からプレゼント頂いたダグラスファーの丸太です。これを3枚に下ろして、磨きをかけて、その内、一枚をテーブルにしました。
しかし乾燥による割れで、あわや真っ二つかと言うところで、エポキシ樹脂を充填し、無事直径2.3mのテーブルになりました。ちなみに年輪を数えると645年でした。
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