v1.6
まつ


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あかまつ

くろまつ

ひめこまつ

てうせんあかまつ

クロマツの樹皮と断面
常緑の高木または低木。分布は北海道から屋久島にまで。世界でも約100種あるが、日本では6種が自生する。人工造林としても、スギ、ヒノキ、カラマツに次いで多い。葉が二葉の黒松(クロマツ)、赤松(アカマツ)、琉球松(リュウキュウ(アカ)マツ)、五葉の五葉松(ゴヨウマツ)、這松(ハイマツ)、朝鮮五葉(チョウセンゴヨウ)、ヤクタネゴヨウがある。一般にはこれらすべてをマツと称しているが、多くはクロマツ、アカマツの事を指すこともある。木材、林業、造園、盆栽などの業界人はきっちり分けている。オマツ、メマツとも呼ぶ事もあるが、雌雄の区別ではなく、葉はやや太めで葉先が痛いほど尖っている男性的なものを雄松(オマツ)、葉が細く葉先がそれほど痛くない、やわらかいので雌松(メマツ)と呼ばれたのが定着した。日本の松は長寿と言われているが、実際は800年ぐらいらしい、しかし世界最高長寿の木は米国のブリスコンパインで松である。

クロマツは、海岸の防風林として広く造林されたことや、荒地にも根付く先駆的な樹種のため、一般に海辺に近い処で見られ、アカマツは、内陸部に多い。両者の間の雑種もあり、アイグロマツと呼ばれている。これらの松の性質は、一般的には比較的よく似ていて、特別でないかぎり、同じものと思ってさしつかえない。
日本を代表する木としては、先のスギや桜があるが、松を代表としても恥ずかしくないものだ。昔から絵や歌、文学などに一番多く利用されてきている。
松の語源は非常に多く、またはっきりしない。日本国語大辞典にはなんと20以上の説をあげている。調べてみると大きく二つに分類される。「待つ」に代表される動詞の言葉につながるものと葉の色や形に関するものとである。
万葉集に詠われている高木の中では、さくら 47首、やなぎ 36首、まき 21首、ヒノキ 10首、スギ 8首、けやき 8首あるが、松が77首もあり、一番多い。それだけ万葉の人たちの中で、身近な木であったのだろうが、歌は松の長寿や緑が変わらないことを褒め称え、永遠に「待つ」を松にかけたものが多い。
神が木に降りてくるのを待つ、生末(おいさき)を待つ、あたらしい葉が出るのを待って、古い葉が落ちることから、待つの意味などがある。
松の葉の形からは、その末広がりから繁栄を願い、分岐する2つの葉は、人の股(また)の形から「マタの木」と言われ、ここからマツに転化したという。さらに街、町(マチ)という言葉も生まれ。また、巷(ちまた)も同じ派生と言われている。
つい最近のプレカットによる在来建築の家では、見ることが出来なくなったが、古来より、最近の家までの天井の上には、曲がった松の丸太が梁に使われていた。曲がっている丸太は重さを分散するのに都合がよく、また粘りもあるので、利用されてきた。最近古い民家を改良して喫茶店やレストランなどに改装するのがはやってして、とても雰囲気がいい。こういう空間では黒光りした曲がった力強い松丸太を見ることができる。
植木屋にとっては松は特別なものであるようだ。特にアカマツにかなう木はないと言う。気品、優美さ、やさしさは庭木の王者の風格といっていいらしい。特に幹のよさはすばらしく、座敷前に植えて幹だけを眺められるようにすることもあるという。しかしアカマツは大気汚染に弱いため、都市部ではクロマツを使わざるを得ないが、アカマツがダメならクロマツがあるとは言いたくないと聞いたことがある。
松竹梅の3点セットはよく考えられたものと思う。植物学的には松が裸子植物(らししょくぶつ)の代表で、竹が単子葉植物(たんしようしょくぶつ)の代表、梅が双子葉植物(そうしようしょくぶつ)の代表で、植物界の三界を表している。そして驚くことには、正月のしめ縄飾りに使う、ウラジロは隠花植物の代表になるので、、正月の4点セットで、植物界全体の代表が揃うという事になる。先人の賢さにはいつも敬服するばかりである。
私の祖父が大阪に店を出し、父が実質経営者で仕事を始めたのが杭丸太の仕事であった。田舎からの世間知らずだったため、何回か人に騙されたりして苦労したようだが、それなりに発展し、私たちの会社の基礎を作った。
戦後の経済復興と高度成長のおかげでビルの基礎に、地下鉄工事、トンネル、埋め立てなどの工事に松や杭丸太矢が相当量使われた。矢板は地下鉄やトンネルの土留め用に利用された。松杭は当時のビルの基礎に利用されて、そのまま地中に残っているものも多い。
私たちの会社の仕事の中で、時々ビル解体時に引き抜いた松杭を引き取る事がある。五十年間、地中でビルを支えてきた松杭だが、水をかけて、洗ってやると、みずみずしい松丸太に生まれ変わる。新品の松丸太としてまた利用できるのである。地中、特に水の中に入っている時は非常に耐久性がある木だ。他の木についてもいえることだが、酸素の供給がない場所では腐朽菌は活動できないのである。今の時代では数少ないエコロジーな産業資材だが、今はコンクリートの杭にとって変わられた。
住宅用としては松は木材が真っ直ぐでなく、また変色したりするので、特殊な銘木的利用以外は構造用に利用されてきた。赤松皮付丸太は、茶室、数寄屋造りの床柱などに好んで用いられます。
大阪店を出店し杭丸太の仕事の全盛期ころの写真です
昭和30年代後半
それ以外の用途としては松共通として、車両材,船舶材,梱包材家具、器具、マッチの−軸木、つけ木、経木、木毛(もくもう)、薪、パルプ材、盆栽などが知られています。かつて、パルプ用材として、は本来はエゾマツやトドマツなのだが、大量にあったマツ類をパルプ用材として推奨した結果、本州のマツの多い地域で重要な原料になった。
赤松は松茸の取れる木としても有名です。焼物の薪としても用いられる。
良材で有名なのは、南部松(岩手県)・津島松(福島県)・日向松(宮崎県)。 
黒松は根株を不完全燃焼させて作ったススを松煙といい、墨、墨汁、黒色の印刷インク、靴墨などの原料として用いる。樹皮の甘皮は「赤龍皮」として血止薬に、根に出来るキノコ(マツホド)「茯苓」は漢方で利尿剤や水腫、淋疾の治療に用いられる。
アカマツより重硬な良材でより樹脂分が多く、均質に含まれている。面材として使用する場合、長い年月、空ぶきして磨くと重厚な光沢のあるものに仕上がる。
水戸松、道了松、沼津松、三河松、山陰松などが有名ですが
五葉松はアカマツなどに比重交すると木材は均一で、年輪は明らかではない。肌目は精で、木理は通直である。狂いは少なく、切削加工しやすい。保存性は低いが、製品に狂いが少ないので、木型用材としてすぐれている。現在では蓄積が少なくなり、ロシアから輸入されるベニマツ(チョウセンゴヨウマツ)が代用されている。。

肥え松、肥松(こえまつ)はもともとは樹脂名ではなく、アカマツ、クロマツの老木の根に近い部分からとれる脂の多い材の事である。材木屋の中でも、肥松という木があると思っている人もいる。
肥え松はあかまつよりもクロマツの方がよいものが取れると言われている。
これで作った器などは、太陽にかざすと真っ赤に透ける。これで作った器やお盆は特有のベタつきがあり、若い人の中では嫌がることもあるが、自然の不思議なとこころで、2-3カ月使うとべたつきがなくなり、拭き込めば、拭き込むほど色艶が出てくる。10年も使い込めば、漆器のようになってくる。普通の漆器などはそんなに使うと艶が無くなったり、剥げたりするのに、肥え松の器はそんな新倍はいらなくて、長持ちする。
同様に昔から家の床の間の地板、棚板、床框に利用されてきた。樹脂分の多い杢板は、黒松の大径木から得られるが、最近は脂松の得られる大径杢板が希少になってきたため、ほとんどの場合本物ではないのが残念だ。ツキ板を張った合板や米松、ラオス松などがその役目になっている。
昔の農家には松脂の塊がよくあった。火にあぶりやわらかくして、足のひび割れに詰め込み、上から熱い火箸で埋め込んでしまう。田んぼ仕事に裸足で入るのに、傷口があると、水が触れ痛かったり、ばい菌が入ったりするのを、これで防いでいた。松の樹脂には、テレピン油、松脂、タールなどが含まれてして、木が傷ついた時に、その傷口を多い守る働きがあるが、人の助けにもなっていたのである。

全国規模の盆栽展を見学したことがある。それ以前に東京駅構内での展示があり、心を少し奪われたことがあったからである。すごいとしかいいようがないもので、圧倒されてしまった。よくもまあ、あの小さな空間に、大きな樹木を詰め込んだのだろうか。じっと見ていると、本物の樹木を見ている錯覚に陥る。海外の作品のパネル出品も見た。若い人も結構きいてる。Bonsai が世界の共通語になっていて、日本ではミニ盆栽も若者の人気が集まってきている。
その盆栽の中で、松は欠かせないもので、クロマツ、アカマツ、ゴヨウマツが数多く出展されていた。触れてはいけないので、見るだけだが、クロマツとアカマツは葉が異なるのがわかる。
盆栽に詳しくない人でも、きっと興味を持って見ることができるだろう。
このような盆栽を創り上げるには、並大抵の努力では、あるいは主人一人の力では出来ないだろう。

永井荷風の短編で以前読んだ「一月一日」というのを思い出した。
明治時代の米国で駐在する将来を嘱望された銀行員の正月でのひとときの会話を短編にしたもの。一人の若者が日本食や日本酒を一切口にせず、日本人との宴会にも合流しない事が、話題になるが、ある人物がその理由を話す。
父が購入した松の盆栽を急に振り出した大雪から守るために、母がそれを取り込みに行き、そ時に風邪にかかり、亡くなってしまう。何の楽しみもなく、逝ってしまった母に対する不憫さが重く彼の心に残り、その後縁日なので、植木を買い求める人を見ると、身震いをするようになってしまっていた。
一方米国での生活は、米国での男女分け隔て無く愉しむ理想の社会で、日本の封建社会を思い出したくないため、日本の食べ物などには口にしないというのであった。
今の日本では考えられないことであるが、当時の家長の関白ぶりがよくわかる。また盆栽を守るのも命がけの仕事であった。

樹木に興味のある人なら、一度は考えて見たことがあるのではないだけろうか、日本の城には必ずといっていいほど松の老木がある。また多くの松がある。
松の根は昔から松明(たいまつ)として使われてきた。アメ色の松根は、肥松(こえまつ)といい、テレピン油を含んでいて、よく燃え、風や雨でも消えない。2次大戦末期には、飛行機の燃料にするため各地で松根油(しょうこんゆ)を集めるため、松根堀がされたという。年配の方では経験のある人も多いと思う。
また、私は自宅に小さな暖炉があるが、冬には様々な木を燃やしては愉しんでいる。松の松笠はピンポン玉のセルロイドのように燃える。とにかく火力がある。
このように、発火しやすい松を植えるのは、城としてはなはだ危険すぎる。火矢でも射られたら、ひとたまりもなく炎上するだろうに。
ある本にこの答えが載っていた。日本の城は、戦(いくさ)を考えていなかった、あるいはいつしか忘れ果ててしまっていたというのだ。戦よりも儒教思想のある教養人化した武士は、主人への変わらぬ忠誠の象徴として、せっせと城の周りに松を植えたというのだ。
なるほどそのようなものかと思っていたが、これを書いているときに気が付いた事がある。
松の甘皮は食べることができるのである。天保の飢饉では、農村部では松の甘皮などを食して飢えを凌[しの]いでいた記録がある。明かりにもなり、非常時の食料にもなり、用材にもなる。
大阪・堺市の産業廃棄物埋立地に森を創るという「共生の森プロジェクト」のワークショツプに参加したとき土が50センチしかなく、それでクロマツなどが育つか心配でいろいろ調べたが、結果は問題ないことがわかった。もともと松は土壌が荒地でも根づく先駆樹種で、岩などの上でも育つ。城などを人工的に作った土地では、十分な土は入れられない。他の樹木は根づきにくいだろう。このようなことから城で植える木としては松が選ばれたのだろう。

日本のアンデルセンといわれる浜田広介(ひろすけ)は童話作家として50余年、児童文学ひとすじに1000編余りの作品を残した。処女作「黄金の稲束」をはじめ「むくどりのゆめ」「泣いた赤おに」「りゅうの目のなみだ」などが有名だが、「砂山の松」というのがある。人間といすかの物語である
神は人間といすかを作り、「最後のひとつは残しておけ」と言って地上にやる。いすかの嘴は松笠の実を食べるのに好都合で、松林に住み着いた。人間は生活に困って、松林の切ってゆく、おろおろと飛び回るイスカを見て、一本の松だけは残す。いすかはひとつの松の実を食べ残して死ぬ。10年数年の歳月が過ぎ、実は松となり、海を渡るツバメがその木で翼を休める場所になるのである。
広介は当時の発展する世界と比較して、古来からの習慣にある、全部収穫せずに、ひとつは残す先祖から受け告げられてきた知恵がなくなることに、危機を感じたのではないか。
森林を切る場合でもこのように、全部切り倒すのではなく、いくつかの母樹(ぼじゅ)を残すやり方もある。
そこから新しい森林が再生される。全部切り倒して、そこに苗木を植える方法もあるが、どちらがより自然かは明らかである。
バーなどで注文するミックスナッツの中には、松の実が入っている事がある。
マツカサ(まつぼっくり)は種鱗(うろこ)に覆われているが、熟すると割れ、外側に反り返えってくる。そのうろこの下に一対の種子(実)が入っている。種子は翼があるものとないものがある。アカマツ、クロマツは長い翼がある。
そして種子は小さい。遠くに飛ぶためだろう。ハイマツ、チョウセンゴヨウなどは翼がなく、種子は大きい。これは動物に運んでもらうためだろう。ゴヨウマツは中間で、小さな翼をつけている。アカマツ、クロマツは食するには小さすぎ、ヤニ臭さがある。ハイマツ、チョウセンゴヨウは大きさも適当にあるが、地域的に限られる。
それで市販されている実は、ほとんど中国からのものである。
松の実はマツカサの中にある種子の胚乳で、その70%が脂質(ししつ)のため、滋養強壮効果がある。中国では「長生果(ちょうせいか)」と言われている。
脂質の約60%が不飽和脂肪酸なので「血液さらさら効果」もあり、新陳代謝を高めるビダミンB2も豊富。栄養価が高くも、癖のない味だからだろうか、和洋の菓子や料理に使われている。オーブンで140度で12分ほど焼くと、香ばしくなって、より美味しくなる。


●日本の各県で松を指定しているところ

都道府県名
県木:
県花:
県鳥:
樹木の解説:
代表的な写真
写真をクリックするとより詳細な
写真を見ることができます。

北海道
県木:エゾマツ
県花:ハマナス
県鳥:タンチョウ
写真は旭岳のエゾマツ

岩手県
県木:ナンブアカマツ
県花:桐の花
県鳥:キジ
写真は岩手山を背景にした
アカマツ林 
西根町 松森山学学術参考林

群馬県
県木:クロマツ
県花:レンゲツツジ
県鳥:ヤマドリ
写真は前橋城跡(群馬県庁の土手)
江戸時代に植えられたもので、
群馬県内最古のもの
1984年3月19日撮影

福井県
県木:マツ
県花:スイセン
県鳥:ツグミ
写真は敦賀市 気比の松原
1984年5月撮影

島根県
県木:クロマツ
県花:ボタン
県鳥:ハクチョウ
写真は松江城跡のクロマツ

岡山県
県木:アカマツ
県花:モモの花
県鳥:キジ
写真は備中高松 
高松城跡付近のアカマツ 1984年撮影

山口県
県木:アカマツ
県花:ナツミカン
県鳥:ナベヅル
写真は山口市内瑠璃光寺裏山
のアカマツ。1984年3月13日撮影

愛媛県
県木:マツ
県花:ミカン
県鳥:コマドリ
写真は石槌山のマツ

沖縄県
県木:リュウキュウマツ
県花:デイコ
県鳥:ノグチゲラ
具志川林 久米の五枝の松
明治3年植樹 高さ4メートル 樹齢115年


気比の松原 拡大 日本三太松原のひとつ


●松のエッセイ

木偏百樹 83.まつ


●松に関することわざ (WOOD databaseより抜粋)

ことわざ内容
赤松打ち割ったよう「竹を割ったよう」と同じ意で、さっぱりとした気性をいう。また気性がさっぱりとしているさま。
男は松、女は藤男はしっかりと大地に根を張る松の木のようなもので、女はその松にからみついて生きる藤のようなものだというたとえ。松にふじがからまるように、女は男にたよって生活するべきものという意。男女の特質をたとえ、男は女の頼りになるということ。
親の頭に松三本親の頭に松三本はえることがあっても。「決していたしません」と誓うことば。
親墓に松三本破約すると、親の墓に松の木三本生えるという。
門松は冥途の旅の一里塚正月の門松は、本来めでたいものとされているが、それを立てるごとに一つ年をとっていくので、死に近づく一里塚と考えれば、めでたくもない。一休の狂歌。「冥途」は「冥土」とも書き、あの世のこと。「一里塚」は、昔、街道に1里(約3.9キロ)ごとに設け、里程の目安にしたもの。なお、このことばは一休禅師作という説があり、このあとに「めでたくもありめでたくもなし」と続けても言われる。
辛崎の松で一つ一つしか無いという言葉あそび。「続故事ことわざ辞典東京堂」
寒松千丈の節寒さにあっても葉の色の変わらぬ松の大木を、忠節の操にたとえたことば。類語として、疾風に勁草(けいそう)を知る。
喬松の寿長寿、長生のこと。漢の王子喬と神皇のときの赤松子の二人は、ともに仙人で、不老長生であった、という故事。
勁松歳寒に彰われ貞臣国危に見わる風霜にあっても変わらない松の強さは寒い冬にあらわれ、忠臣は国が危うくなった時にあらわれる。
勁松は歳の寒きに彰る風雪にたえた松の強さは、寒い冬になってわかる。そのように忠臣は国の危うくなったときに、はじめてわかる。類語として、歳寒くして松柏の凋むに後るるを知る。国乱れて忠臣あらわる。
志松の葉に包むたとえ木の葉に包むほどのわずかな物でも、贈る人の真心さえこもっておればそれでよい。
歳寒の松柏常緑樹の松や柏が冬になっても緑の色を変えることがないことから、逆境にあっても、いかなる困苦にも屈しない、堅固な節操をいう。また艱難にあってはじめて、節操のある人か否か、人の真価がわかること。また、平和な世には君子も常人と違わないが、事変にあうと真価があらわれることのたとえ。
鹿三代に松一代、松三代に鳥一代松の木の寿命は鹿三代分であるが、鳥の寿命はその松の三代分に相当する。松は鹿三代に当たる樹齢を保つが、鳥は一代で松三代に相当する長生きをする。


松菊猶存す隠者の庭に松と菊とがまだ存在している意から、隠遁の地にも、まだ昔の知己が残っていることをいう。また、乱世に、節操の高い志士が存していることにもたとえる。
松樹千年の緑も霜の後の夢一年中色の変わらぬ松の葉でも、霜の後に色があせることがあるように、栄華はいつまでも続かず、衰えた後には盛りの姿は過去の夢でしかなくなる。
松柏の操どんな困難にも負けない節操のたとえ。類語として、松柏の操を堅く守る。歳寒の松柏
松柏の霜の後に顕れ忠臣は世の危きに知らる常緑樹の松や柏が冬になっても緑の色を変えることがないことから、逆境にあっても、いかなる困苦にも屈しない、堅固な節操をいう。また艱難にあってはじめて、節操のある人か否か、人の真価がわかること。また、平和な世には君子も常人と違わないが、事変にあうと真価があらわれることのたとえ。類語として、松柏の操、厳冬の松柏。松柏の志。厳冬からざれば以て松柏を知る無し。事むずかしさからざれば以て君子を知るなし。松柏は霜の後に顕われ忠臣は世の危うきに知らる。世乱れて忠臣を知る。
松柏の下其の草植せず大木のかげには草は茂らない。大勢力のある者があると、その周囲には勢力家は育たない。反対のことわざとして「大木の下に小木育つ」がある。
雪中の松柏雪の中の冬に、他の植物はしおれても、松やこのてがしわは緑を保っているのがわかる。困難や苦難に出会って後、人の真価がはじめてわかる、また、ふだんはわからないが、大事に遭遇するとはじめて君子の真価が現れることのたとえ。
谷の枯木は高けれど峯の小松に影ささず高い地位にある人や力のある人でも、その庇護の手をだれしもにさし伸べることはできないというたとえ。権威ある人だからとて頼みになるとは限らず、卑賤弱小の人でもたよりにならぬものとは限らない。
歳寒くして松柏の凋むに後るるを知る常緑樹の松や柏が冬になっても緑の色を変えることがないことから、逆境にあっても、いかなる困苦にも屈しない、堅固な節操をいう。また艱難にあってはじめて、節操のある人か否か、人の真価がわかること。
白砂青松白い砂浜と青い松の織りなす、海辺の美しい景色を形容することば。類語として、白砂青松の景勝の地。「白砂」は「はくさ」とも読む。
培婁松柏無し小さな丘には、松や柏(このてがしわ)のような大木は育たない。りっぱな人物はつまらぬ者のいる所には同居できないことのたとえ。
松かさよりも年かさ松かさより年かさ、ともいう。年長者の経験は貴重だ、ということ。「年かさ」と「松かさ」の語呂合わせで、おもしろく言ったもの。類語として、いかの甲より年の劫。亀の甲より年の劫。烏賊の甲より年の功。
松の潜りようが足らぬ門松を潜った回数がまだ不足。年若く、経験が浅いことをいう。
松の実生えの臼になるまで(「実生え」は、つぎ木・さし木などによらず種子から発芽した植物をいう)実生えの松がやがて臼になるまで。松の長い寿命と共に。遠い後々まで、いつまでもということ。
松の木柱も三年一時しのぎなら、どんなものでも役に立つ。一応、当座の用にはたつという意。松の木は腐りやすいので普通使わない松の柱でも、三年ぐらいはもつということから。
松の木に蝉がとまったよう大きなからだにこどもなどがだきついた形容。
松葉一升で米一升炊かねば嫁に貰うな香川県は燃料資源の少ない土地がらで、燃し物をたいせつにした。
松は千年竹は万年いつまでも変わらずに長寿を保つことのたとえ。
松は十返りの花咲く松は百年に一度、千年に十回花が咲くという伝説。十返りの花=松の花の雅称。祝賀の意に用いる。
松は二葉より棟梁の恩あり 松は二葉より棟梁の思いあり、ともいう。松は小さい芽のうちから家の梁(はり)や棟(むね)となる素質を有している。大成する人物は、幼いときから人並みはずれて優れたところがあることのたとえ。類語として、蛇は寸にして人を呑む、蛇は寸にして人を呑むの気あり、栴檀(せんだん)は二葉(ふたば)より芳(かんば・こうば)し


その他万葉集にあるの松関係のもの (WOOD databaseより抜粋)
作者ふりがなno
中皇命わが背子は仮廬作らす草無くは小松が下の草を刈らさねわがせこはかりほつくらすかやなくはこまつがもとのかやをからさね
1
11
川島皇子白波の浜松が枝の手向草幾代までにか年の経ぬらむしらなみのはままつがえのたむけぐさいくよまでにかとしのへぬらむ
1
34
山上憶良いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむいざこどもはやくやまとへおおとものみつのはままつまちこひぬらむ
1
63
長皇子あられ打つあられ松原住吉の弟日娘と見れど飽かぬかもあられうつあられまつばらすみのえのをとひをとめとみれどあかぬかも
1
65
置始東人大伴の高師の浜の松が根を枕き寝れど家し偲はゆおおとものたかしのはまのまつがねをまくらきぬれどいへししのはゆ
1
66
長皇子吾妹子を早見浜風大和なる吾をまつ椿吹かざるなゆめわぎもこをはやみはまかぜやまとなるわをまつつばきふかざるなゆめ
1
73
額田王み吉野の玉松が枝は愛しきかも君が御言を持ちて通はくみよしののたままつがえははしきかもきみがみことをもちてかよはく
2
113
有間皇子磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見むいはしろのはままつがえをひきむすびまさきくあらばまたかへりみむ
2
141
長意吉麿磐代の岸の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかもいはしろのきしのまつがえむすびけむひとはかへりてまたみけむかも
2
143
長意吉麿磐代の野中に立てる結び松情も解けず古思ほゆいはしろののなかにたてるむすびまつこころもとけずいにしえもほゆ
2
144
山上憶良鳥翔成あり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむつばさなすありがよひつつみらめどもひとこそしらねまつはしるらむ
2
145
河辺宮人妹が名は千代に流れむ姫島の子松が末に蘿むすまでにいもがなはちよにながれむひめしまのこまつがうれにこけむすまでに
2
228
高市黒人吾妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむわぎもこのゐなのはみせつなすぎやまつののまつばらいつかしめさむ
3
279
角麿住吉の野木の松原遠つ神わご大君のいでましどころすみのえののきのまつばらとほつかみわごおほきみのいでましどころ
3
295
博通法師石室戸に立てる松の樹汝を見れば昔の人を見るごとしいはやとにたてるまつのきなをみればむかしのひとをあひみるごとし
3
309
余明軍標結ひてわが定めてし住吉の浜の小松は後もわが松しめゆひてわがさだめてしすみのえのはまのこまつはのちもわがまつ
3
394
大伴三中昨日こそ君は在りしか思はぬに浜松が上に雲とたなびくきのうこそきみはありしかおもはぬにはままつがへにくもとたなびく
3
444
笠郎女白鳥の飛羽山松の待ちつつそわが恋ひわたるこの月ごろをしらとりのとばやままつのまちつつそわがこひわたるこのつきごろを
4
588
笠郎女君に恋ひ甚も術なみ平山の小松が下に立ち嘆くかもきみにこひいたもすべなみならやまのこまつがしたにたちなげくかも
4
593
池辺王松の葉に月は移りぬ黄葉の過ぐれや君が逢はぬ夜の多きまつのはにつきはゆつりぬもみちばのすぐれやきみがあはぬよのおほき
4
623
山上憶良大伴の御津の松原かき掃きてわれ立ち待たむ早帰りませおおとものみつのまつばらかきはきてわれたちまたむはやかへりませ
5
895
車持千年韓衣着奈良の里の島松に玉をし付けむ好き人もがもからころもきならのさとのしままつにたまをしつけむよきひともがも
6
952
紀鹿人茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の樹の歳の知らなくしげをかにかむさびたちてさかえたるちよまつのきのとしのしらなく
6
990
聖武天皇妹に恋ひ吾の松原見渡せば潮干の潟に鶴鳴き渡るいもにこひあがのまつばらみわたせばしほひのかたにたづなきわたる
6
1030
市原王一つ松幾代か経ぬる吹く風の声の清きは年深みかもひとつまついくよかへぬるふくかぜのおとのきよきはとしふかみかも
6
1042
厚見王屋戸にある桜の花は今もかも松風疾み地に散るらむやどにあるさくらのはなはいまもかもまつかぜはやみつちにちるらむ
8
1458
坂上郎女松蔭の浅茅が上の白雪を消たずて置かむことばかも無きまつかげのあさぢがうへのしらゆきをけたずておかむことばかもなき
8
1654
山上憶良白波の浜松の木の手向草幾代までにか年経ぬらむしらなみのはままつのきのたむけくさいくよまでにかとしはへぬらむ
9
1716
宇治若郎子妹らがり今木の嶺に茂り立つ嬬松の木は古人見けむいもらがりいまきのみねにしげりたつつままつのきはふるひとみけむ
9
1795
平群女郎松の花花数にしもわが背子が思へらなくにもとな咲きつつまつのはなはなかずにしもわがせこがおもへらなくにもとなさきつつ
17
3942
藤原八束松蔭の清き浜辺に玉敷かば君来まさむか清き浜辺にまつかげのきよきはまべにたましかばきみきまさむかきよきはまべに
19
4271
物部真島松の木の並みたる見れば家人のわれを見送ると立たりしもころまつのけのなみたるみればいはひとのわれをみおくるとたたりしもころ
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石川命婦松が枝の地に著くまで降る雪を見ずてや妹が籠り居るらむまつがえのつちにつくまでふるゆきをみずてやいもがこもりをるらむ
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大伴家持住吉の浜松が根の下延へてわが見る小野の草な刈りそねすみのえのはままつがねのしたばへてわがみるおののくさなかりそね
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万葉集の松

読み
万葉よみ現代よみ
松(まつ)【松(まつ)】

ふり
がな
いはしろの はままつが えだをひきむすび
まさきくあらば またかへりみむ
有馬皇子

意味
磐代の浜松の枝を、幸を祈って結ぶ。無事であれば、再び帰って来てこれを見よう
有馬皇子(ありまのおうじ)は斉明四年、謀反を企てたが捕えられ、行幸先の紀伊の牟婁湯(むろ)に連行され、尋問後、藤白の地で絞首された。

万葉集には77首の歌が詠まれている

樹木
解説
松は赤松、黒松などの総称。

関連
世界の木材 1192.マツ
木偏百樹 83.まつ

出展
巻2-141