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数寄屋を現代に生かす

自由な創造の通低に造形のソフト

引き算の世界から生れる数寄屋

(財)京都伝統建築技術協会理事長 中村昌生さんに聞く数寄屋の心
  「数寄屋を造ってみたい」とか「数寄屋は難しい」とか、「数寄屋の定義は? 」とかの声がよく寄せられてくる。
 何となく、建築の中では決まりごとが多くて難しく、材料も高級なものとのイメージが一般にはあるようだが、本当にそうなのだろうか。
 数寄屋を特集するからには、何はさておいても数寄屋、茶室の研究と実践の第一人者で、著書も数知れぬ(財)京都伝統建築技術協会の中村昌生理事長に話を伺うことにした。
 
中村さんには本誌第5号で、伝統の匠 の技についてご登場願って以来であるが 、今回は、「数寄屋とは何か」「現代にど う生かすか」を中心にインタビューをお 願いした。
(酒井)
庵の造形のソフトが生きる数寄屋

―最初から本題ですが、数寄屋とは何を 持って言うのでしょうか。
中村 数寄屋と言うと何か難しいものに 考えられがちですが、およそ数寄屋建築 のイメージは多様ですし、そういうもの であっていいわけです。
こういうもので なければ…というのではなく、デザイン にも個性が出せて、自由なものであって いいわけです。
鵺(ぬえ・正体がつかめ ない、はっきりしない物事)的とまでは 言わないもののつかみどころがないもの と言ってもいいんじゃないでしょうか。
 日本建築史を辿れば、主流となるもの は寺院史や神社史であり、戦後、書院造 りのような高級邸宅から、民家に至る、 各種ジャンルの建築史が論述されるよう になりました。
 その中で数寄屋というのは、様式性を 持たない建築で、民家なんかもその中に 入るのかもしれませんが、むしろ、隠者 の「庵」のようなものと言った方が良い でしょう。
 鴨長明が出家して隠遁生活に入って、 かの方丈の庵を結びました。
方丈記にあ るように、住む人の心とひとつに結ばれ た庵というものは、歴史の表面には余り 現われないが、時代をこえて存続してき た、その時代その時代の住まいの知恵が 生んだ住まいとも言えるでしょう。
個性 的で、世も、町も、人も捨てて一人の住 みかを追求して造られた庵にこそ数寄屋 の原点があると思うのです。
このような庵、住みかに通底している ものを、造形のソフトに持っているのが 数寄屋ではないかと考えています。
 それをはっきりさせているのが茶の湯 のための茶室と言えるでしょう。
 隠者の生活の場でありながら、客を招 き、もてなす遊びである「庵」を建築の 理想としているのが、茶の湯と言ってい いでしょう。

茶室に集約される数寄屋のこころ

―とすれば、茶室の中に数寄屋の心が集 約されていると言えるのでしょうか。
中村 茶の湯の建築というのは、歴史の 底に埋もれていた庵の建築に密着したと いうか、それそのものと言っていいと思 います。
 住まいの目的によっては、隠者の庵そ のものであっては困ることもある。
しか し、そのソフトを使って住まいを造る、 別荘を造ると、そこにいろんなバリエイ ションができる。
それが数寄屋と言うも のです。
 例えば、公家の山荘・桂の建物を見ま しょう。
構えは、貴族の権威を保持する ように書院造りを基本としつつ、もう少 しやわらかく、やさしい建物を求める場 合、数寄屋のソフトを生かしていくと、 おだやかでやさしく、瑞々しい空間に生 れ変るのです。
 ソフトの使い方、その強弱によって建 物の姿はいろいろ変るのです。
多様で、 様式性がなく、定型をつかめないもので ありながら、そこにある種の共通性があ る。
それを数寄屋と呼ぶわけです。
結局 は、造る人のソフトの使い方によってさ
まざまな数寄屋風が作れるのです。
 そういう意味で、茶室も数寄屋に入れ ていいのでしょう。
茶の湯のために造ら れる数寄屋は、茶匠の好みによるのです が、茶の湯の倫理性を超えてソフトを使 うべきではないと主張する立場がありま す。
しかし、古田織部たちは、それを超 えてソフトを使い、遊び心にソフトを応 用していました。
そして数寄屋だと呼び ました。
こういうものを数寄屋と呼ばず 、小座敷という人もいます。
 数寄屋には好みが出ますが、それは、 定義とは関係なく、建築としての数寄屋 の概念とも関係ないものです。

桃山時代に形を成す数寄屋
―歴史的に見て、数寄屋が定着したのは いつ頃になるのでしょう。
中村 建築史にはっきり出てくるのは室 町時代です。
それ以前の時代にはあった でしょうが、はっきりとした構造が残っ ているのは桃山時代です。
 後鳥羽上皇の離宮にも数寄屋のような ものを感じますが、権力者の造形が頂点 に達する時、つまり英雄や覇者が、権力 をみなぎらせて建築する権力の造形が頂 きに達したのが桃山時代です。
 白亜の造形や書院造りが、権力の造形 の手段とされ、思い切り装飾性を発揮さ せたのが桃山時代です。
浄土信仰で造ら れた宇治の平等院とは違い、人間の生活 を飾るため、装飾性が極度に用いられた のが書院造りで、肩を怒らせたような建 築に都合が良かったのが書院だったわけ です。
 そして、その対極、一切の格式性、形 式、威張ることを放棄するような造形、 厳しくないものを造ろう、心が安らぐも のを造ろうという風潮が強まります。
 書院造りのように外部と対立するだけ でなく、内部においても外部の空間をも 威圧するような造り。
自然との共生とい う日本人がいつの時代にも持ち続けたい というものと断絶し、自然をも脅迫するような建築。
こういうものが出てくると 、逆に、そうでない建築をつくりたいと いう気持ちが生まれて来ます。
そこから、武家邸宅の中にも、ひとつ の異質な草庵の建築が造られました。
す ると書院とその草庵を継ぐ鎖の間が必要 になります。
それは書院風でありながら 数寄屋のソフトを使わざるを得ない、使 わなければ書院と庵とを具合良くつなげ ないということで別なソフトを促すこと になります。
これが数寄屋風書院と言わ れるものです。
 桂離宮には、日本人の文化の伝統に通 底しているものを見ることができます。
一見書院に見える中にソフトな佇まいと 言えるものがかよっています。
座敷の整 った部屋でありながら、部屋は限りなく 庭へつながり、月見台さえ設け、外の自 然に連なり、結界をも作らない。
池から も飛び石伝いに飛び足で御殿に入る。
こ のような自然と室内を直結する思想は書 院にはない演出です。
これを数寄屋と呼 ばず何と呼ぶか。
 数寄屋を数寄屋風ととらえ、そのソフ トの濃厚なものを注いで、茶の湯の心に かなうものとして造られたのが茶室です。
 千利休の聚楽亭屋敷などは、数寄屋造 りの代表と言えるものです。
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