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神谷のインドネシア点描

『眠れる獅子が起きました。』の巻き


昔のジャカルタ写真を御覧下さい。何とビルが数えるほどしか建っておりません。一体いつ頃のジャカルタなのでしょうか?撮った本人も分かりません。

ホテルマンダリンは建ってます。でもホテル・インドネシア・シェラトンの裏は全くビルが有りません。少し離れてカルティカプラザホテルらしきビルが見える程度です。この写真を撮ったのはヌサンタラ・ビル21階の大倉商事ジャカルタ連絡事務所からだと思います。その対面にはおそらくアソカ・ホテルも建っていた事でしょう。

今のジャカルタ写真と見比べればその変化に驚かされます。3年前のジャカルタをご存知の方でさへ今のジャカルタを御覧になって驚かれるのです。まして10年一昔の元駐在員の方方々が今のジャカルタを御覧になれば
ジャカルタだと認識することも叶わないでしょう。


眠れる獅子が起きたのです。石油、天然ガスを筆頭に石炭、ニッケル、鉄鉱石、石灰その他殆どの地下資源が自国内に有ります。
・ジャンビの郊外では家の隣で石油を汲み出しております。
・バンジャルマシンの郊外、マルタプラでは水田を掘ってダイヤモンドを採ってます。
・かつて地表に生えている木を切り出していた林区は地面を掘って石炭を掘り出しております。掘っただけです。縦鉱も横鉱もありません。土をどかして掘るだけで石炭がザクザク出てきます。まるで『ここ掘れ、ワンワン』の世界です。

中近東から日本へ石油を運ぶ際に通る海峡を三つも自国内に抱えてます。(マラッカ海峡、マカッサール海峡、スンダ海峡)これが為に日本政府から貰うODAが最も多い国だそうです。

資源があっても社会インフラ未整備のためそれを運ぶことが出来ませんでした。工場が無い為にそれを使うことも出来ませんでした。全ての資源を持ちながら他のアジア諸国の後塵を拝し続けておりました。スリーピング・ドラゴン(眠れる獅子)と揶揄され続けました。人口が多くとも経済活動に絡める社会的人間の数が少なく、
ただ頭数が多いだけ、とシンガポールやマレーシアから馬鹿にされました。

昔、マラリアに罹ってフラフラでシンガポールへ治療に出た時は、タクシーの運ちゃんにジャカルタから来たと伝えると、『ジャカルタは汚い』、と一言で切り捨てられました。資源どころか水も無いくせに一大発展を遂げているシンガポーリアンは資源があっても活用できないインドネシアを蔑んでいたのです。インドネシア大好き人間としては誠に悔しかったです。

スハルト暴動をきっかけに外資がインドネシアより撤退して行きました。世は開放経済の雄、中国全盛時代へ…、中国は中共とも書きます。中華人民共和国です。共産主義の国です。でも、『黒い猫も白い猫も鼠を取るのが良い猫』、なる言葉の元に共産主義が隠され、改革開放経済の姿のみ喧伝されました。それに伴い中国へ、中国へ、と企業も工場も流れて行きました。暴動のインドネシアはおいてきぼりを喰いました。皆さんが中国へ移って行くうしろ姿をインドネシアより眺め続けた期間は、インドネシア・ファンとしては実に悔しい日々でした。今に見ておれ!インドネシアがいつまでも眠っているとは限らないぞ!!中国がいつまでも似非資本主義の仮面を被れるとは限らないぞ!!!


そのインドネシアがようやく目を醒ましました。もう眠れる獅子とは言わせません。東南アジア最大の経済発展を遂げております。

何せ人口が多いです。アメリカに並ぶ2億4千万です。この大きなパイが少しずつ浮上を始めているのです。小さなパイがいくら浮上しても大した需要増は見込めませんがこれだけ大きなパイが浮上を始めますと、大変な需要増を生み出します。まるで高度成長時代の日本…。団塊の世代が浮上するたびに大きな需要を創り出しながら日本の景気を引き上げた姿の2倍版です。

1998年のスハルト暴動以降大きな暴動は起こっておりません。インドネシアで一番怖いのは暴動です。善良な民衆が一挙に殺人鬼に変わる恐怖、とても言葉では言い表せません。若き頃ジャカルタでラパガン・バンテン騒乱と云われた暴動が吹き荒れたコタ市街を走ったことがあります。セレベス出張からクマヨラン空港へ戻って来たのにタクシーが居ません。空港から電話でお世話になっていた三菱商事や大倉商事のジャカルタ店へ電話をいれて確認しますと、コタで暴動が勃発したとのこと。それ故にクマヨラン空港にタクシーが居ないのだ、とのこと。仕方なく空港にある空軍詰め所へ行き大枚をはたいて空軍のジープを出してもらい、機関銃を持った兵隊さん二人前に乗って貰って走ったものでした。あちこちで車がひっくり返えされ黒い煙を吐いておりました。
煙で薄暗い中、散らばったガラスをジープで踏みつけながら走りました。暴徒は去っていたものの惨憺たる光景でした。

当時はこのような暴動が7年~10年に一度起こっていたのです。どこで、どんなきっかけで、暴動が起こっても、最後に犠牲となるのは中華系インドネシア人でした。当時はスハルト政権が意識的に民衆の不満ガス抜きを図って暴動を煽っている、と囁かれていたものでした。(口外は出来ません。消されます…)

このような恐ろしい暴動が現在は起きていないのです。この事実だけを見てもインドネシアが素晴らしい国に変身したと実感します。(暴動の怖さを知っている人だけがこの実感を共有してくれるでしょう…。)

ましてや経済成長です。一割の大金持ちに9割の貧乏人、と言われたインドネシア民衆の中に、そのどちらにも属さない中産階級が育ちつつあります。昨日オジェック(オートバイ白タク)や乗り合いバスで通勤していた人達が今日はオートバイ通勤をしています。昨日オートバイ通勤していた人達が、今日はマイカー通勤しています。慎ましい(とは言っても日本では邸宅)持ち家に住むサラリーマン…。洒落たベーカリーで出来立てのパンをお盆に入れる綺麗なご婦人…。スターバックで昼食代ほどのコーヒーを飲んでタバコをくゆらす若者達…。ジャカルタでは普通に見かけますが、これをぞインドネシア発展の実感です。

己が国の閉塞感をNHKニュースで見るにつけ我が事のようにインドネシアの発展を嬉しく思います。いずれどこかで頭を打つであろうとも、今は悦びたいです。 誇りに思いたいです。

『インドネシア 万歳!』




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