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新・木偏百樹

もみ

日本特産の常緑針葉樹で、北海道と沖縄を除く、各地に分布。ただし裏日本(青森-富山県]には少ない。モミは寒冷地に適さず、暖かい所を好む。通常樹高は20~50、直径は50~80cm、。大木にはなるが寿命が短 く、100年から150年くらいで枯れる。
モミは移植が難しく、大気汚染に非常に敏感な木で、都市やその近郊などでは育ちにくくなっている。 名前の由来としては、風にモミもみ合うことからとか、万葉集のオミノキ(臣木]のから転じてとかあるが、一番説得力あるのは朝鮮でmun- biといい、ここからの転じたというもの。
モミは万葉集にはオミノキ(臣木]として一首しか詠まれていない。また他の針葉樹のように、民俗や信仰にまつわる話があまりない。これは昔から用材としての評価が低 く、生活と縁が薄いからだろう。 心材と辺材ともほとんど淡黄白色で、日用品などに用いられる。また臭いがないので、食品に接するものにも用いられる。しかし現在では、蓄積が減り、ほと んどが北米あるいはロシア産の木によって代替されている。
材は年輪がはっきりとしており、加工容易だが、釘は利きにくく狂いやすい。やにつぼ、入皮などの欠点が出易く、また節が大きい。乾燥時、狂いも出やすい。
梱包用の板類としてつい最近まで大量に生産された。紅茶や素麺などの食品の化粧箱や保存箱、陶磁器、雛人形、お茶、茶道の道具類を入れる箱によく 使われた。
蒲鉾板は、樹脂等では蒲鉾の乾燥に合わせて水分を出し入れできないため、未だに木を使っている。 また、現在でも葬具、棺、卒塔婆(そとば]などに利用されている。かつて東京近辺にもモミが数多く見られ、卒塔婆(そとば]製造の業者もあり、かなり繁盛したという。
原宿から明治神宮の南参道に高さ約20M足らずの樅がある。江戸時代この地は彦根藩の下屋敷があり、枯れると同じ場所に後継のモミが植樹されてきた という。そのため代々木といわれ、現在の地名の由来となっている。当時のものは周囲約10メートル高さ50メートル以上あったとされている。江戸を目指す 旅人の目印になっていた。黒船来航の際には、井伊家の家臣が木に登って艦隊を監視したと伝えられている。 このモミの巨木は明治の中ごろに枯れ、現在のモミの木は、昭和27年に、昔そうしてきたように同じ場所に植えられたもの。江戸時代末期、安藤広重も「江 戸土産」の中で「代々木村の代々木」と題してこの木を描いている。
山本周五郎の『樅ノ木は残った』は主人公の原田甲斐が仙台から江戸宅に移植したモミに、伊達家の命運を表現。樅を凛として力強い木として描き、甲斐 の人間性をダブらせている。
樅はこの小説の重要な場面に登場する。樅をシーンごとに集計をとったら20箇所ある中
15箇所も宇乃が登場するので、宇乃が重要な役割を演じていることになる。子供の宇乃から成人した宇乃に時間的な経過を表している。特に小説の最後 には、甲斐がそれまでなかなか育てられなかった樅が、彼の死後ようやく若木に育ち、それを見て彼を思い出す宇乃が描かれている。ドキとするエロチック な表現で終わっている。
学名
Abies firma
マツ科
モミ属
英名
Momi fir、 Japanese fir

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