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継桜王子

・産経新聞 2011/12/28

中辺路町野中の熊野古道沿いにある「秀衡桜」は、あつい熊野信仰の持ち主である奥州藤原三代の藤原秀衡が参拝に訪れ、桜の杖を突き立て、それが育ったと言われている。天仁2年の10月、この地を訪れた藤原宗忠は「道の左辺に続桜樹有り、本は檜で、誠に希有なこと」と『中右記』に書かれている。鎌倉期にこの桜にちなみ、「継 桜王子」という社が築かれ、九十九王子のひとつに数えられる。台風12号の影響を受けずに石段の両脇にはスギの巨木や檜などの木々類がそそり立つ。「野中の一方杉」と呼ばれる石段の左手の杉はやや南に傾いている。案内板によると、重畳とつづく果無山脈の向こうに鎮座している熊野那智大社を慕って傾いたというが、山からのおろし風のせいであると言われている。明治末、「神社合祀令」により伐採が進み、それを必死になって止めたのが、20カ国ちかい言語を理解し、博物学から粘菌学、民俗学に通じた天才を通り越した異様な巨人の南方熊楠である。熊楠の神社合祀令に対する反対の論理は、現在では常識とされている。森の鎮守は、村人たちの「質撲にして和気藹々たる良風俗」を維持するための感化力を持っている。「千百年来斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し」、大きな生態系を形成している。継桜王子付近の老杉も「本邦無類の巨樹」であり、「希有の珍木の大樹」でもあると訴えた。大規模な伐採によって「土石崩壊、年々風災洪水の害聞到らざるなく、実に多事多患の地相と成り居り申し候」と今回の「風災洪水」を予言したかのような警告である。廃社となったあと、御神体を戻された継桜王子の近くに「皇太子殿下行啓の地 平成四年五月二十七日」と書かれた石碑がある。杉の巨木に感心されたであろう昭和天皇ともゆかりがあり、昭和37年の白浜行幸のさい「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と個人の名前を歌に詠まれたという異例となった。

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