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森は消えた

・朝日新聞 2010/4/23

アンボヒマナリボ村の木彫り職人ラゴトゥサンディ・シャンポルさんは「小学校を卒業後、父の材木業を手伝い、木彫りも始めました。でも5年前、主な収入源だった材木業はやめました。木がないのです。木彫りも今は小物くらいで……」と嘆いた。アンボヒマナリボ村はマダガスカル中央高地の尾根の上にあり、大部分がはげ山状態である。点在する森は、10年前に植林した松やユーカリばかりで、伐採までさらに10年は必要である。伝統的な家造りや木彫り作品に好まれる「ナト」「タンボネカ」と地元で呼ばれる硬めの木は、徒歩2時間の森に少し生えるだけという。それは1200平方キロの山岳部に広がるザフィマニリ地方の人々に共通の悩みである。住民は天然林を伐採し、跡地を焼き払って畑にする生活をしてきたため、森がこのような状態となったのである。1960年ごろから、医者が巡回してくるようになって衛生環境が改善、人口が激増した。1900年に推計5500人だったのが、1970年に15000人を超え、今は50000人となっている。人が増え、生活スタイルは同じであるから、森の衰退は当然の成り行きである。550人が住む北サカイボ村では2000年、村の山から木彫り用の木が消えた。木彫りの技術が2003年、無形文化遺産の前身にあたるユネスコ「人類の口承及び無形遺産の傑作宣言」を受けた後、職人は増えたが、材料の大半は別の村から買っている。今は植林した松とユーカリしかない。「ハージョアラは苗が見つからず、植林できない。木彫りに最適だという、価値に気づくのが遅すぎた」ユネスコと地元自治体は2008年、森林の保護や火災防止を啓発する行動計画決定した。「森の保全と活用を両立し、伝統も伝えたい」とスポーツ文化余暇省のエメリーヌ・ラハリマナナ文化遺産局長は言う。しかし、固有種の苗の調達が進まず、かつての森の回復に見通しはない。2008年の無形文化遺産委員会に出たアンテテザンドロチャ村のラコトザフィ村長は「伝統の技を忘れぬため、当面は小物を作り続けるしかない。国際社会の支援がほしい」と訴えている。

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