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緑の恵み

・日本経済新聞 2010/11/17

炭焼き小屋で育った宇江敏勝氏の父源右衛門は、江戸の炭焼きの技を伝える最後の世代の人であった。その父に仕込まれ、30歳まで一緒に各地を転々としながら小屋を建て、炭を焼いていた。炭焼きを休む春からは、雇われて植林をした。1958年から22年間。山の作業小屋に泊まり込み、40キロを越す苗木の束を背負って山に登り、1日に400本を植えたという。日本には農民文学の伝統はあるが、山の仕事を書く作家がいないということに30歳を過ぎた頃に気づいた。小説ではなく事実を書こう。今自分が書かないと消えてしまう。山仕事が変わったのは1970年の大阪万博の頃からであり、車が普及し、林道が整備されて、山の小屋に泊まらなくても植林の現場に通えるようになった。山は生活の場から、単なる仕事場になった。旧暦の11月に行っていた山祭りも、近場の温泉での宴会に変わった。変わってゆく山の暮らしを、宇江氏は書き続けた。出版社から話が来て以来、約20冊の本を書いてきた。今も肩書には「エッセイスト・林業」と書くという。和歌山県田辺市の自宅は自分が植えたスギで建てた。オール電化だが、別棟で囲炉裏の火を楽しむ。持ち山にはカシやナラ、ウバメガシなどの広葉樹100種を植えている。昔手がけた植林地を見に行くと広葉樹の方が大きく育ち、こみ合って細いままのスギは圧倒されて消えかかっている。針葉樹は間伐して一本一本を太く育てるしかないのである。

稲本正氏は1974年から飛騨高山の森に移り住み、家具や木の家を作る「オークヴィレッジ」を営む。森の再生を目指して、国産材しか買わないことでも知られる。高山に来た当初、地元の老人から「木を見にこんか?」と雪の山に誘われ、訳もわからず連れて行かれた先は、「キリコシのナラ」という巨木であった。「たたりがある」と一本だけ切り残された木である。最近、様々な木からアロマオイルを採る技術を開発した。腐りづらいヒノキの枝葉も、オイルを採った後なら堆肥になる。雇用促進になるし、雑木林の手入れにもなるのである。木の新しい用途を見つけた気がしているという。住まい、水、食べ物、燃料、田畑の肥料。たくさんのものを、我々は森に頼ってきた。ここしばらく我々が続けてきた、森とは無縁の暮らしが行き詰まり始めた今、癒やしから二酸化炭素の固定、災害の防止、生物多様性の確保まで、森は新しい形でまた我々を支えてくれようとしているのである。

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